この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2018年6月) |
樋貝 詮三(ひがい せんぞう、1890年4月3日 - 1953年1月1日)は、日本の政治家・法学者。第37代衆議院議長。
来歴・人物
山梨県東山梨郡勝沼町(現甲州市)出身。日川中学、中央大学夜間法科在学中に文官高等試験に合格し、1918年に京都帝国大学法科大学を卒業。卒業後は(法制官僚)となり、法制局に勤務の傍ら中央大学講師を務め、(内閣恩給局長)・保険院長官などを歴任。1943年に『海の慣習法』で京都帝大より法学博士の学位を取得した。
1946年の戦後最初に行われた第22回衆議院議員総選挙では、郷里の山梨から日本自由党の公認候補として擁立されて出馬し、当選する。その後、鈴木正文と自由党山梨県支部を結成する。山梨県全県区の第24回衆議院議員総選挙まで3期選出され、1952年10月の第25回衆議院議員総選挙には出馬せず引退した。
樋貝は当選一回の新人議員でありながら衆議院議長に就任し、戦後改革の審議を取り仕切った。1946年6月21日、紛糾していた本会議において議長として全ての者を沈黙させる(号鈴)を鳴らしたが、さらに議場が紛糾してしまう事態になった。議長退任後は皇室典範委員長を経て第3次吉田内閣で国務大臣・賠償庁長官を務めた。
栄典
親族
著書
- 『恩給法原論』巌松堂書店、1922年。
- 『海商法提要』巌松堂書店、1923年。
- 『新恩給法釈義』良書普及会、1923年。
- 『昭和八年改正恩給法解説』良書普及会、1933年。
- 『海の慣習法』良書普及会、1943年。
脚注
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。