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有馬 元治(ありま もとはる、1920年1月1日 - 2006年12月15日)は、日本の官僚、政治家。元自由民主党衆議院議員。鹿児島県川内市(現薩摩川内市)出身。
来歴
台北高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1941年12月 内務省(東京府属[1])に入省したが、わずか2週間後の1942年1月 海軍短期現役八期生として海軍経理学校に入学する。終戦後、海軍から内務省に復帰後は、内閣官房(内閣参事官)、中央労働委員会事務局長、労働省職業安定局長などを経て、1968年 労働省事務次官に就任。退官後の1969年 衆議院議員選挙に旧鹿児島2区から自民党公認で出馬し初当選。防衛政務次官、党国防部会長を歴任するなど国防族として知られた。田中派崩壊後も二階堂進と行動を共にしたため、当選6回を数えながら遂に入閣は出来なかった。1990年 落選し政界引退。地盤を松下忠洋に譲った。同年、勲二等旭日重光章を受章。
2006年12月15日午前11時55分、心不全のため東京都文京区の病院で死去。86歳。死後、正七位から正四位に昇叙された。