経歴
讃岐国苅田郡出身。天長8年(831年)直講を務めていた際、淳和天皇の神泉苑への行幸に召されて、主税頭・安野真継と『春秋』について、(阿波守)・善道真貞と『三礼』について議論をした[1]。
逸話
仁明天皇は経学を深く尊んでいて、しばしば儒者を召して、御前で議論をさせていた。ある時天皇は、大学博士・御船氏主と助教・苅田種継の両人を召して経義について議論させた。氏主は礼を執り、種継は伝を挙げ、激しい議論の末、決着がつかなかった。当時、怪力の持ち主であった左近衛・阿刀根継と右近衛・伴氏永の二人が相撲上手で天下無双とされていたことから、天皇は戯れに氏主を氏永に、種継を根継に例えたという[2]。
官歴
『六国史』による。