ヨゼフ・パーレニーチェク( チェコ, 1914年7月19日 − 1991年3月7日)[1]は、チェコのピアニスト、作曲家。
経歴
ボスニアのトラヴニクに生まれる。幼少時からピアノに親しみ、11歳のときオロモウツで初舞台を踏んだが、演奏活動を本格化させるのは1935年からである。1927年から1936年までカレル・ホフマイスターにピアノを師事し、作曲を(オタカール・シーン)とノヴァークに学んだ。この間の1935年に(スメタナ三重奏団)(後にチェコ三重奏団)を結成している。[2]1936年からは奨学金を得てエコールノルマル音楽院に留学し、(ディラン・アレクサニアン)とピエール・フルニエに室内楽を師事した。また、このときにアルフレッド・コルトーの知遇を得、アルベール・ルーセルにも個人的に作曲を習っている。
第二次世界大戦後は、ヨーロッパ、日本、中央アメリカから南アメリカまで演奏活動を行い、1962年にはリオデジャネイロ、1967年にはモントリオールでマスター・クラスを開いた。1962年以来プラハ芸術アカデミーのピアノ科と室内楽科の教授を務めた。1991年、プラハにて没。