この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2015年1月) |
毛利 元朝(もうり もととも)は、江戸時代中期の大名。長門国長府藩4代藩主[1]。官位は従四位下・佐渡守。のち長州藩の嗣子[1]。諱は後に
生涯
長州藩主・毛利吉元(長府藩3代藩主毛利綱元の長男)の長男[1]として誕生。幼名は又四郎。
父の吉元が長州藩主となったため、祖父・綱元の養嗣子となる。宝永6年(1709年)、祖父の死去により長府藩主となるが、正徳2年(1712年)に父・吉元の嗣子であった弟の(元陳)(左門)が死去したため、新たな嗣子として迎えられ、長府藩は叔父の元矩が継いだ。その後、8代将軍徳川吉宗より偏諱を受けて宗元と名を改めたが、長州藩の家督を継ぐことなく、享保6年(1721年)4月19日、19歳で早世した[1]。代わって、弟の宗広が嗣子となった。
系譜
脚注
参考文献
- 時山弥八編国立国会図書館デジタルコレクション 『稿本もりのしげり』1916年。 NCID BN04718592 。