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大威徳明王

大威徳明王(だいいとくみょうおう)、梵名ヤマーンタカ(यमान्तक [yamāntaka])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。五大明王のなかで西方の守護者とされる。

大威徳明王像(平安時代、ボストン美術館蔵)

概説

 
大威徳明王像(13世紀、ボストン美術館所蔵)

梵名のヤマーンタカとは『死神ヤマをも降す者』の意味で、降閻魔尊ともよばれる。またヴァジュラバイラヴァvajrabhairava 、金剛怖畏)、ヤマーリyamāri死神ヤマの敵』)[注 1]マヒシャサンヴァラmahiṣasaṃvara水牛を押し止める者』)ともいう。

このヴァジュラバイラヴァのバイラヴァとは、インド神話主神の一柱であるシヴァ神の最も強暴な面「バイラヴァ」のことである。また、マヒシャサンヴァラのマヒシャとは、インド神話で女神ドゥルガーと戦った水牛の姿のアスラ神族の王のことである。

チベット語では、シンジェ・シェーgshin rje gshed)、ドルジェ・ジクチェーrdo rje 'jigs byed、金剛怖畏)という。

三昧耶形は宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)。種字はキリーク (hrīḥ)。

三輪身説によれば、大威徳明王は阿弥陀如来[1](自性輪身)、文殊菩薩(正法輪身)に対応する教令輪身で、阿弥陀・文殊が人々を教え導くために敢えて恐ろしげな姿をとったものとされる。

日本では、大威徳明王は六面六臂六脚で、神の使いである水牛にまたがっている姿(右足また左足を懸けている。獄門に懸けるの意)で表現されるのが一般的である。特に日本では脚が多数ある仏尊は他にほとんど無く、大威徳明王の際立った特徴となっている。

6つの顔は六道(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界)をくまなく見渡す役目を表現したもので、6つの腕は矛や長剣等の武器を把持してすべての仏法(仏典)を守護し、6本の足は六波羅蜜(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を怠らず歩み続ける決意を表していると言われる。

歓喜天青龍など邪悪な存在を降伏する破邪の存在[2]

また、菅原道真の御霊(ごりょう)に「日本太政威徳天」の神号が追贈されているが、これは御霊の威力を大威徳明王に習合させたものであるという。

チベット密教におけるヤマーンタカ

チベット密教最大宗派であるゲルク派では、他の三宗派と異なり「無上瑜伽タントラ」の主要な五タントラの一つとして『ヴァジュラバイラヴァ』のテキストを取り上げている。ヤマーンタカは、その重要な本尊と位置づけられている。また、宗派の依経となる『グヒヤサマージャ』の行法では、守護輪の十忿怒明王の筆頭がヤマーンタカとなっている。さらに、ニンマ派の「マハーヨーガ」成就部に属する『サーダナの八教説』(sgrub pa bka' brgyad)では、「出世間の五部」の尊挌にあげられている[3]

ヤマーンタカを主尊とする行法には三種類あり、それぞれクリシュナ・ヤマーリ(青黒ヤマーリ)、ラクタ・ヤマーリ(赤ヤマーリ)、ヴァジュラバイラヴァ(金剛バイラヴァ)である。その中でも特にヴァジュラバイラヴァは、ゲルク派において、宗祖ツォンカパ大師の守護尊(イダム)であるために、宗派の三大本尊の一つとして極めて重視されている。

伝播の歴史

相承

16世紀のチベットで活躍した、ラマ歴史家である(ターラナータ)(英語版)の記した『インド仏教史』[注 2]は、ヴァジュラバイラヴァの法が人間界にもたらされた経緯について、以下のように伝えている[4][5]

曰く、ヴァジュラバイラヴァの法は、ゲルク派・カギュ派の本初仏であるヴァジュラダラ(持金剛仏)によって説かれたという。まず、ジュニャーナ・ダーキニーに伝えられ、(ウッディヤーナ)(英語版)[注 3]という密教の理想郷といわれる地に保存された。ある時、長年、文殊菩薩を信仰していた、ナーランダ僧院の学僧ラリタヴァジュラ(Lalitavajra)が、その法を成就した。そして、文殊菩薩の啓示を受けたラリタヴァジュラは、ウッディヤーナへ出かけ、ダルマガンジャ(聖典庫)という坐所へ赴き、当地の試練を受けた末、ヴァジュラバイラヴァの妃であるヴァジュラヴェーターリー(Vajravetālī)の恩恵を得て、ヴァジュラバイラヴァの法の灌頂を受けた。未来の衆生のために、彼が聖典庫からヤマーリをはじめとしたタントラを招こうと望むと、聖典を守る(ダーキニー)から「7日間の間に記憶できたものを人間界に伝えること」を許された。そこで、ラリタヴァジュラは、文殊菩薩の助力を得て記憶できるだけのものを脳裏に刻みつけ、7日後に、今日に伝わる形でのヤマーンタカ系のタントラ[注 4]儀軌などのテキストを人間界に伝えることができたという[6]

そうして、人間界に齎されたヴァジュラバイラヴァの法は、その後、アモーガヴァジュラ、パドマヴァジュラ、そして、ネパールの密教行者バロー・チャクドゥムへと伝わり、1100年前後にバローからチベットのラ訳経官ドルジェタクの手に伝えられると[7]、彼の手でヴァジュラバイラヴァの法はチベットの地において普及されるようになった。年月が経ち、ヴァジュラバイラヴァを守護尊とするツォンカパが現れる。ツォンカパは守護尊の法である『ヴァジュラバイラヴァ』を重視したことで、彼のひらいたゲルク派でも尊崇され、現在に至る[注 5][8]

成立史

ヤマーンタカの行法を伝える三タントラ、すなわち『クリシュナヤマーリ・タントラ』と『ラクタヤマーリ・タントラ』、『マハーヴァジュラバイラヴァ・タントラ』の成立過程はいまだ解明されていない。ただし、高野山大学教授で仏教文化史研究の奥山直司によれば、この経典の成立年代は、ラリタヴァジュラが『マハーヴァジュラバイラヴァ・タントラ』の事実上の著者とされていることと、ドルジェタクに伝えられた年代(12世紀初頭前後)を勘案し、逆算すると、おおよそ10世紀ごろだったのではないかとしている[4]。また奥山は、プトゥンの『聴聞録』に三タントラの相承系譜が別々に記されていることから、これらのテキストは異なったルートでインドからチベットへともたらされたようであると説明している[8]

姿形

チベットでは、ヤマーンタカ(大威徳明王)を前身とし様々な尊格へと発展していった。それが、最終的に同一存在として統合された。

ヤマーンタカ=ヴァジュラバイラヴァ

 
ヤマーンタカ。大英博物館所蔵

ヤマーンタカ、ヴァジュラバイラヴァは、おもに、青黒肌で水牛の忿怒相を中心とする九面、三十四臂、十六足の多面多臂多脚で、手にカルトリ刀、頭蓋骨杯、梵天の首、串刺しの人間を持つ淫欲相[注 6]の悍ましい姿であらわされる[9]。また、妃ヴァジュラヴェーターリーを抱くヤブユム尊もある。敵対者の呪殺や、寿命の延長など様々な分野で非常に強力な霊験があるという。なお、通常夜叉明王は仏教に帰依した際は角が取れているのだが、ヤマーンタカは水牛の角がそのまま残されている。

説話

チベット仏教の伝説では、悪鬼と化した修行僧を折伏するために文殊菩薩が変化したとも言われる。これによると昔、ある修行僧が悟りを開く直前に盗賊達に襲われ、共にいた水牛ともども首を刎ねられて殺された。 悟りの境地に至る直前にその望みを絶たれた修行僧の怒りは凄まじく、そばに落ちていた水牛の首を拾って自分の胴体に繋げ、盗賊達を皆殺しにした。彼はそれだけでは飽き足らず、ついに関係のない人々をも無差別に殺す悪鬼・死神に成り果ててしまった。これに困った人々は文殊菩薩に助けを求めた。そこで文殊菩薩はその悪鬼と同じような牛面で、しかも悪鬼以上の武器をもった姿に変化して戦い、ついに悪鬼を倒した。この姿が大威徳明王(ヤマーンタカ)なのだという。

クリシュナ・ヤマーリ

『サーダナ・マーラー』(: sādhanamālā)によれば、肌は青黒く、一面二臂、三面四臂、三面六臂、六面六臂でヤマを踏みつけている憤怒尊[10]。水牛に乗る。三面六臂のときのみヤブユムで、水牛に乗らない。六面六臂の姿は、日本の大威徳明王像に近い。調伏法で敵を呪殺するのに霊験があるという。

ラクタ・ヤマーリ

『サーダナ・マーラー』によれば、肌は赤く、一面二臂の憤怒尊。ヤブユム。阿閦の化仏の冠をかぶり、水牛に乗る[9]。敬愛法で異性を引きつける霊験があるという。

ヴァジュラバイラヴァの度脱法

ネパールの密教者バローはヴァジュラバイラヴァの法を「ありとあらゆるタントラのなかでも、精髄中の精髄で、他の真言に比べ一三の要諦で圧倒的に深く優れ、外道調伏成仏させる法である」と、評している。

ヴァジュラバイラヴァの行法を駆使した呪術師として最も有名なのは、バローの弟子、ラ訳経官ドルジェ・タクrwa lo tsā ba rdo rje grags、ラ・ロツァワ・ドルジェタク)である。

著名な大威徳明王像

絵画

彫像

  • 東寺(五大明王のうち、平安時代)
  • 真木大堂(平安時代、国内最大)
  • 石馬寺(平安時代)
  • 醍醐寺(五大明王のうち、平安時代)
  • 称名寺光明院(運慶作、鎌倉時代)称名寺の運慶作、木造大威徳明王坐像は北条義時を模した像とされている小像[11]。破損が激しい原因は未だ不明である。

真言

  • オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ[12](oṃ ṣṭrīḥ kāla-rūpa hūṃ khaṃ svāhā[12])など。

ギャラリー

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ただし、他と姿形が異なり、格も落ちる。
  2. ^ dpal dus kyi 'khor lo'i chos bskor gyi byung khungs nyer mkho
  3. ^ Uddayana, Oḍḍiyānaとも。チベット語でウルギェン。烏萇。諸説あるものの、パキスタンの(スワート渓谷)(英語版)に同定する説が優勢(奥山, p.107)。
  4. ^ 『インド仏教史』によれば、ラリタヴァジュラが持ち帰ったのは『クリシュナヤマーリ・タントラ』、『三章本バイラヴァ・タントラ』、『マハーヴァジュラバイラヴァ・タントラ』(これらを合わせて「クリシュナヤマーリ三部書」という)を初めとする多くの陀羅尼であったとされる。
  5. ^ バローやドルジェタクが行っていたという強力なヴァジュラバイラヴァの行法は、記録が失われ、完全な形では残っていない。
  6. ^ 陰茎を怒張させている。

出典

  1. ^ 精選版 日本国語大辞典「大威徳明王」、小学館。
  2. ^ 「歓喜天信仰と俗信」笹間良彦、pp180-186。
  3. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、pp108-109、p161。
  4. ^ a b 奥山 2021, p. 108.
  5. ^ 奥山 2021, p. 110.
  6. ^ 奥山 2021, pp. 110–111.
  7. ^ 奥山 2021, p. 104.
  8. ^ a b 奥山 2021, p. 112.
  9. ^ a b 奥山 2021, p. 94.
  10. ^ 奥山 2021, p. 92.
  11. ^ 運慶作大威徳明王像をめぐる二、三の問題 ―鎌倉幕府関係の造仏と霊験仏信仰との関わりを中心に― 瀬谷貴之(神奈川県立金沢文庫)[1]
  12. ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p209。

参考文献

  • 平松敏雄「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」東洋文庫、1982年刊。
  • 正木晃『増補 性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光』ちくま学芸文庫、2016年7月10日。 
  • 松長有慶奥山直司、桜井宗信、森雅秀、川﨑一洋『インド後期密教(上): 方便・父タントラ系の密教』春秋社、2021年1月27日。ISBN (978-4-393-11276-2)。 
    • 奥山直司『4『ヤマーリ・タントラ』と『マハーヴァジュラバイラヴァ・タントラ』 呪殺の冥王たち』。 

関連項目

外部リンク

  • チベット仏教ゲルク派 宗学研究室
  • - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)
  • 聖閻曼徳迦威怒王立成大神驗念誦法(関連経典)
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