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公益社団法人日本生化学会(にほんせいかがくかい、英: The Japanese Biochemical Society)は、生化学研究の推進を目的とする日本の学術団体。
概要
1925年、医化学(医学系の生化学)研究者を会員として設立された。当初は医学系を中心としたため、現在も日本医学会に加盟しているが、現代ではそれに限らず、理学系・農学系・工学系の研究者も多数参加している。学会誌として日本語誌『生化学』、英文学術誌『Journal of Biochemistry』を発行している。2012年9月、公益社団法人に移行。
現在は生化学と分子生物学との境界が曖昧になってきたため、日本分子生物学会(1978年設立)とは特に密接な関係があり、しばしば合同大会を開催している。その他隣接分野の学会としては、日本生物工学会、日本薬学会、日本農芸化学会、日本細胞生物学会などがある。
創立者
創立者の柿内三郎(1882-1967)は、旧田安徳川家家臣で資産家であった柿内家の三男として生まれ[1]、東京帝大医科大学卒業後、隈川宗雄に招かれ講師となり、米国留学を経て同大教授となり、1927年に生化学教室を創設[2]。私費で『生化学雑誌』を創刊し、「東京生化学者宵の会」を設立するなど、日本の生化学研究の基礎作りに貢献した[2]。定年後は日本学園校長を務めた[2]。小金井良精の娘婿、星一とは相婿[1]。弟の柿内照康は実業家で、柿内合名会社代表、内外製薬研究所長、大日本勧業貯蔵会代表などを務めた[3]。長男の柿内賢信(1913-1995)は物理学者で、東京大学名誉教授、国際基督教大学教授、東京神学大学教授を務めた[4]。
脚注
関連項目
外部リンク
- 日本生化学会