『THE VERY BEST OF UNICORN』(ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ユニコーン)は、日本のロックバンドであるUNICORNの初のベスト・アルバム。
『THE VERY BEST OF UNICORN』 | ||||
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UNICORN の ベスト・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1987年 - 1993年 | |||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | Sony Records | |||
プロデュース | 河合マイケル 原田公一 | |||
チャート最高順位 | ||||
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ゴールドディスク | ||||
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UNICORN アルバム 年表 | ||||
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EANコード | ||||
1993年11月21日にSony Recordsから初回限定盤がリリースされ、同年11月26日には通常盤がリリースされた。8枚目のオリジナル・アルバム『SPRINGMAN』(1993年)より半年ぶり、9月21日の解散宣言から2か月後にリリースされた作品である。
解散までにリリースされたシングル全9曲中7曲を収録、また1枚目のアルバム『BOOM』(1987年)から最終作となった『SPRINGMAN』までのアルバム収録曲を収録しているが、ミニ・アルバム『おどる亀ヤプシ』(1990年)、および『ハヴァナイスデー』(1990年)からは選曲されていない。
本作はオリコンチャートにて最高位2位、売上枚数は初回限定盤と通常盤を合算して80.4万枚となり、同バンドのアルバムとしては最大の売上枚数となった。
背景
8枚目(フルアルバムとしては6枚目)のアルバム『SPRINGMAN』(1993年)のレコーディング中に、ドラムス担当であった西川幸一が脱退を表明、理由はバンドの方向性と自身が望むドラムプレイの乖離であると発表された[1]。これにより4人編成となったUNICORNは、河合誠一マイケルがサポートドラマーとして参加したことによって『SPRINGMAN』を完成させた。その後UNICORNは「UNICORN TOUR 1993 "4946"」と題したコンサートツアーを同年4月8日の三郷市文化会館公演からツアーファイナルとなった8月12日の沖縄市民会館公演まで40都市全59公演を実施した。同ツアーには脱退した西川の代わりにDr.StrangeLoveに所属していた古田たかしがドラマーとして参加した[2]。
ツアー終了後の9月20日、スポーツニッポン誌上にて「結成7年 実力バンド ユニコーン今月限りで解散」との記事が掲載された[3]。翌9月21日放送のニッポン放送ラジオ番組『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(1991年 - 1994年)の特別番組に電気グルーヴの代わりにUNICORNメンバーが出演し、正式に解散を発表した[3][4]。同番組内にて奥田は解散理由を『SPRINGMAN』を制作したことで達成感があり、同バンドで次にやることが思い浮かばない、スポーツ新聞に書かれているように「力出し切った」ためであると述べた[5]。番組内ではすでに脱退した西川からのコメントが読まれたほか、ドラムスがない状態で「すばらしい日々」のアコースティック・バージョンが演奏された[6]。
後に自著『FISH OR DIE』(1996年)において奥田は解散の理由として、UNICORNは目標がないバンドであり、ネタありきでレコーディングやライブを行っていたためにネタが尽きたことが一つの原因であると述べたほか、リーダーでありドラマーであった西川が脱退したことで、一から音楽を再構成する必要が生じ、バンドとしての活動維持の意欲がなくなったことが原因であるとも述べている[7]。
構成
UNICORNが解散までに発表したシングルおよびアルバムから選曲されているが、シングル全9作の内「命果てるまで」(1990年)および「ブルース」(1991年)が未収録となったほか、ミニ・アルバム『おどる亀ヤプシ』(1990年)および『ハヴァナイスデー』(1990年)からは1曲も収録されていない。
アルバムからの選曲は、1枚目のアルバム『BOOM』(1987年)から2曲、2枚目のアルバム『PANIC ATTACK』(1988年)から3曲、3枚目のアルバム『服部』(1989年)から5曲、4枚目のアルバム『ケダモノの嵐』(1990年)から4曲、7枚目のアルバム『ヒゲとボイン』(1991年)から1曲、8枚目のアルバム『SPRINGMAN』(1993年)から2曲となっている。また、「ヒゲとボイン」はシングルカットされた曲のため、アルバム『ヒゲとボイン』のアルバム曲は1曲も収録されていない。
リリース
1993年11月21日にソニー・ミュージックレコーズから初回限定盤としてCDおよびCT、MDの3形態でリリースされ、同年11月26日には通常盤CDがリリースされた。初回限定盤CDのみCDケースが立体仕様になっている。また、レーベル面はピクチャー仕様となっている。
チャート成績
オリコンチャートでは、初回限定盤CDが最高位2位の登場回数4回で売り上げ枚数は27.2万枚、通常盤CDが最高位8位の登場回数47回で売り上げ枚数は53.2万枚となり、合算で売り上げ枚数は80.4万枚となった。初回盤の売り上げ枚数はUNICORNのアルバム売上ランキングにおいて6位となり、通常盤は1位となった[8]。シングル、アルバム通じて30万枚台が最大のヒットであったユニコーンにとって、本作が最大のセールス作品となっている。
収録曲
スタッフ・クレジット
参加ミュージシャン
- ジェイク・H・コンセプション - サクソフォーンソロ(12曲目)
スタッフ
- UNICORN - サウンド・プロデューサー
- 笹路正徳 - サウンド・プロデューサー(1 - 10曲目)
- 大野邦彦 - ミキシング・レンジニア(1,2曲目)
- 森山恭行 - ミキシング・エンジニア(3 - 5、11 - 15曲目)
- 大森政人 - ミキシング・エンジニア(6 - 10曲目)
- 宮島哲博 - ミキシング・エンジニア(16 - 18曲目)
- 鈴木美和 - パッケージ・コーディネーション
- 三木孝浩 - パッケージ・コーディネーション
- 山崎英樹 - パッケージ・デザイン
- 塩見佳子 - パッケージ・デザイン
- 渡辺純一 - エグゼクティブ・プロデューサー
- 木村豊 - イラストレーション
- 笠井鉄兵 - マスタリング・エンジニア
- 原田公一 - プロデューサー
- 河合マイケル - プロデューサー
リリース履歴
脚注
- ^ 人に歴史あり 其の参 1993, p. 124- 「1993年5月号①」より
- ^ 人に歴史あり 其の参 1993, p. 135- 「1993年6月号①」より
- ^ a b 人に歴史あり 其の参 1993, p. 190- 「1993年11月号」より
- ^ 別冊宝島 2003, p. 49- 市川誠「THE HISTORY ユニコーンのいっしょう 第5期: 終焉 (1992-1993)」より
- ^ 人に歴史あり 其の参 1993, p. 193- 「1993年11月号」より
- ^ 人に歴史あり 其の参 1993, p. 194- 「1993年11月号」より
- ^ 奥田民生 1999, pp. 7–10- 「Round 0 悲しくはなかった。ただ休みたかった」より
- ^ “UNICORNのアルバム売上ランキング”. オリコンニュース. オリコン. 2022年3月5日閲覧。
参考文献
外部リンク
- Unicorn - The Very Best Of Unicorn - Discogs