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SX-Window

SX-Windowとは、SHARP X68000シリーズ用のウィンドウシステムデスクトップ環境)である。X68000シリーズにおける純正のGUI OSに相当する。

SX-Window
開発者 (計測技研)、シャープ
プログラミング言語 C言語
初版 ver.1.0 / 1990年4月 (33年前) (1990-04)
最新安定版 ver.3.1 / 1994年5月 (29年前) (1994-05)
使用できる言語 日本語
プラットフォーム MC68000
ウェブサイト [1]
(テンプレートを表示)

1990年発売のEXPERT II/PRO II/SUPER HD以降の機種に標準添付されていたが、ソフトウェアのみのパッケージ販売もされていたため、標準装備になっていない機種や、新しい版のシステムは別途購入し、使用することが可能であった。

概要

栃木県宇都宮市でマイコンショップ「BASIC HOUSE」を運営し、『Oh!MZ』/『Oh!X』誌の紙上通販の広告でもおなじみだった(計測技研)が開発を行った(誤解されがちだがハドソンは開発に関与していない)。マイコンショップ「BASIC HOUSE」はX68000の発売以前より、シャープの認定ディーラーとしてMZX1などを取り扱う傍ら、AmigaMacなどMC68000系のパソコンも取り扱い、さらにこれらのパソコンの拡張ハードウェアやソフトウェアなどを独自開発して販売していたため、MC68000系パソコンにおけるソフトウェア開発に熟知していた。そしてなにより、X68000を開発していたシャープ矢板事業所(栃木県矢板市)からごく近いところに所在していた。

X68000は1986年の発売当初よりマウスを標準搭載しており、標準DOSのHuman68kにはマウス操作を前提とする(MacOSのFinderによく似たデザインの)「ビジュアルシェル」(「VS.X」)が標準搭載されていたが、文字通りシェルの役割しか持たなかった。「ビジュアルシェル」は一見マウスに対応したウィンドウシステムのような見た目をしていても、所詮はシングルタスクOSであるHuman68Kの上で動くアプリケーションの一つにすぎず、「ファインダー」内のアイコンをクリックしてアプリを起動すると、そのアプリが起動すると同時に「ビジュアルシェル」は終了し、マウスの矢印も「ウィンドウシステム」も消えてしまう(なまじMacOSのFinderによく似たデザインなので、「アプリをアイコンとして表示させる機能しかなく、クリックすると消えてしまう」というがっかり感が強かった)。1990年にSX-WINDOWが登場したことにより、ようやくX68000において実用的なウィンドウシステムが利用できるようになった。

SX-WINDOWは、主にGUIのサービスを提供する「SXシステム」(「FSX.X」)と、疑似マルチタスクによる動作を提供する「SXシェル」(「SXWIN.X」)で構成されている。SXシステムの提供するサービス群は「SXコール」と呼ばれる。

SX-WINDOWは標準DOSのHuman68kと協調して動作している。したがって、Human68kからみればSX-WINDOWは一プロセスに過ぎない。しかし「ビジュアルシェル」と異なり、SX-WINDOWは自プロセス内で各タスクを扱うことで、X68000というハードウェアにおいて疑似マルチタスク環境を実現している。

Intel 80286を採用した同時期のコンピューターでは、リニアに扱えるメモリのサイズは64KBまでで、それを超えるメモリ空間へのアクセスには「セグメント切り替え」と呼ばれる作業が必要となり、そのぶんプログラミングが面倒となって動作も遅くなったのに対し、メモリを理論上16MBまでリニアに扱えるMC68000を採用したX68000シリーズは、全てのメモリ(X68000では最大12MB)をリニアに扱える「リニアアドレッシング」という素直な構成で作られており、そのぶん広いメモリ空間を必要とするソフトが作りやすいのがウリであった。その前提としてシングルタスクOSであるHuman68kの存在があり、Human68kのDOSコールでは1つのアプリケーションが画面や空きメモリを自由に占有できた。これに対し、マルチタスクを前提とするSX-WINDOWのSXコールにおいては、疑似マルチタスクシステムを破壊するような行為は禁止されており、そのような自由さはなかった。他のタスクに影響が出ないように、空きメモリは自由に占有できず、また画面も占有できず、アプリケーション固有の「ウィンドウ」内にしか描写できなかった。

逆の見方をすると、「ウィンドウ」に画面を描写し、イベントドリブン型のプログラムにする、などといった制限を守りさえすれば、Human68kの対話型ユーザーインターフェイスに親しんだ開発者でも、SXコールを使って比較的簡単にアプリケーションの構築が可能、という一面もあった。もっとも、そう言えるようになったのは開発ツールが揃ってきた1993年頃からで、初期の開発者は『Oh!X』誌の解析を参考にして自力で開発ツールを開発して開発環境を構築する必要があった。

SX-WINDOWは1990年当時のWindowsMacOSClassic Mac OS、「漢字Talk」)と同様、イベントドリブンによるマルチタスクである。タスクの切り替えをOSが担当するタイムスライシング型(真のマルチタスク)ではなく、タスクの切り替えがタスクに依存するイベントドリブン型(疑似マルチタスク)としたことは、Windows 95が発売された1995年以降には時代遅れになった(従ってX68000シリーズは1995年以降まで生き残ることができなかった)ものの、X68000が非力なスペックであった1990年当時においては正しい選択だったと『SX-WINDOW Ver 3.1開発キット』(1995年)では評価されている[1]

SX-WINDOWのシステムコール(SXコール)は、CPUに同じMC68000を使用するMac OSのシステムコールとかなり似ており、有志の開発者がMac OS用のアプリを移植しやすいように『Oh!X』誌などによって解析なども行われた[2]。画面のデザイン、配色などはNeXTSTEPGUIに近いイメージで作られていた。NeXTSTEPとは、Apple社の創業者であるスティーブ・ジョブズがApple社を退職後、1985年に設立したNeXT社が開発したOSで、1986年頃よりプレビュー版が公開されていたが、1989年に正式リリースされ、1989年当時はもっとも先進的なOSだと考えられていた(スティーブ・ジョブズがApple社の社長に復帰した後の2001年にMac OSと融合されて「Mac OS X」となる)。同時期にOS/2Acorn Archimedesが同種のインターフェースを採用しているが、対象物に対して右ボタンクリックでコンテキストメニューを出すシステムはWindowsやMac OSよりもSX-WINDOWの方が先であった。

画面モードはX68000の高解像モードである768*512(モニタに表示しきれない部分をスクロールさせることで実画面1024*1024として使用可能)の16色が使われていたが、1993年発売のX68030に合わせてリリースされたSX-WINDOW Ver3よりグラフィックウィンドウ(「GRW.X」)導入によって高解像のままで最大512*512 65536色を出せるようになった。これはGUI部分をテキスト画面で描画し、グラフィック部をグラフィック画面でウィンドウを描画しているところに、従来はテキストグラフィック双方の解像度を合わせてグラフィック部分も16色に制限されていたのを、テキスト画面とグラフィック画面の画面モードを変えて重ねることでグラフィックウィンドウ内部のみを65536色モードに変えることが可能になった。X68000の持つCRTCの柔軟さが生かされている。

ファイルシステムはHuman68kと同一である。当時のMacOSMac OS X以前の、いわゆるClassic Mac OS)では、CUI OSとファイルシステムの互換性を保ったままウィンドウシステムを実現するために、データ本体のファイル(「データフォーク」)とは別にアイコンやウィンドウの形状を定義する「リソース」のファイル(「リソースフォーク」)を別個に持つ方式を取っていたが、SX-WINDOWにおいてはMac OS以外のGUI OSと同様、リソースはファイルとして持つ(1つのバイナリの内部にデータとリソースを分割して保持している)方式を採用していたので、データファイルは純粋にデータファイルのままであった。(なお、CUI OSとファイルシステムの互換性を保ったままウィンドウシステムを構築するために「データとリソースを別個のファイルとして保持する」やり方は、初代MacOSがリリースされた1984年当時としては画期的な発明だったが、ファイルが2つに分かれるため面倒であり、1985年リリースの初代Windowsをはじめとして後続のOSはすべて「1つのバイナリファイルの内部的にデータとリソースを分割して保持する」方式を採用し、MacOSも2001年リリースのMac OS X以降にこの方式に倣った。)

1994年にリリースされたVer3.1が最終である。SX-WINDOWおよびHuman68kは2000年に「NIFTY-Serve」の「シャープ・プロダクツ・ユーザーズ・フォーラム」においてフリーウェアとして公開され、NIFTY-Serveの閉鎖後は有志のホームページにおいて再配布されている。無償公開版ではシャーペン.Xのコンソール機能や標準搭載のゲーム「ピンボール.X」は「削除」されている。(ちなみに、間違って削除してしまったファイルを復元するためのソフト「zombie.x」が同じサイトで公開されている)

評価

初版がリリースされた1990年当時から、評価は微妙だった。CPU 10MHz、メモリ 2MBという、1990年当時のX68000のスペックでは満足に動かすには荷が重かった(メモリ1MBの機種でも動くことは動くが、メモリのフリーエリアを確保するために少し面倒くさい作業が必要となり、実際的な利用は厳しい)。1991年にCPUが16MHzにバージョンアップしたX68000 XVIが発売され、多少はマシになったが、やはり微妙だった。シャープ純正でありながら動作が重いためにユーザーの評判は低く、SX-Windowとほぼ同時期に有志が作成してフリーウェアとして公開されたウィンドウシステムである(Ko-Window)の方が軽快な動作でユーザーの評判は良かった[3]。一方で、X68000をクロックアップしてSX-WINDOWを使う熱狂的なファンもいた。

1993年リリースのver 3.0以降に標準搭載されたエディタ「シャーペン」の評価は高く、またユーザーが自分でソフトを製作してパソコン通信で配布するなどの動きがあり、末期の1995年頃に至るまでに次第に使い勝手は向上したものの、対応ソフトがほとんど出ず、あえて使う理由はなかった。GUIの利用と引き換えに、X680x0に本来備わった強力なグラフィック機能とスプライト機能を捨てることになるので、特にグラフィック処理においては全く使い物にならなかった。「シャーペン」に惚れ込んだ一部の『Oh!X』誌のライターには、1995年当時のWindowsや漢字Talkと比べてなおも優位性を主張する者もいたが[4]、末期まであまり積極的に使いたいというユーザーはいなかった。

ソフトウェア

対応ソフトウェアは、シャープからもサードパーティからもほとんど出なかった。

標準搭載の文書の編集ソフトとして、ver1.0より「ノート」、ver1.1より「エディタ」が搭載されていたが、エディタとしてはHuman68kに標準搭載されていた「ED.X」の方が軽快で、ワープロソフトとしてはHuman68kの「wp.x」(XVI以前に標準搭載されていたワープロ)の方が高機能だったので、あまりパッとした評価を受けなかった。1993年発売のX68030に合わせてリリースされたSX-Window Ver.3.0以降、これに代わって「シャーペン」(「シャーペン .X」)という強力なカスタマイズ性と機能を持つテキストエディタが付属し、これは『Oh!X』誌で「MicroEMACS」(UNIXの有名エディターであるEMACSをX68000に移植したもの)と比較されるほどの高い評価を受けた[5]。定義ファイルと内外コマンドによって、エディタ、ワープロ、コンソールウィンドウと形態を変える事ができる。1994年にはver3.1の発売に合わせてシャープによって「シャーペンカスタマイズコンテスト」も行われ、ユーザー独自の定義ファイル、外部コマンドが応募された(力作はX68000の公式ユーザークラブ「EXEクラブ」の会員向け情報誌で配布され、また「ソフトベンダーTAKERU」でも販売された)。シャーペンの文書ファイルはテキスト部と装飾部に分かれ、装飾部を外すだけで即テキストファイル化が可能であった。装飾部はテキストの最後にEOFコードが付きその後にバイナリで付加される。イメージを貼り付けた場合は、テキスト部で該当する所には「絵」という文字が挿入される。

市販の商用ソフトウェアはシャープと計測技研が主なベンダーである。シャープ純正ソフトウェアとしては、グラフィックソフトウェアの「Easypaint SX-68K」(1991年発売)などがある。65536色の表示が可能なことがウリであったX68000で16色のドット絵を製作するソフトである。末期の1994年ごろにようやくワープロソフトの「EGWORD SX-68K」、DTPソフトの『X DTP SX-68k』やDTMソフトの『MUSIC SX-68K』など多少は揃い始めた。X68000の企画に携わった元シャープ矢板事業所の佐々木毅によると、X68000用ソフトはすべてシャープで開発していたが、SX-Window用ソフトの開発はMacOS用のアプリをベースにX68用に書き換えることで対応してもらったとのこと[6]。計測技研からは、『SX-広辞苑』や『SX-PhotoGallery』(フォトCDビューワー)などのほか、『シャーペン ワープロパック』がリリースされた。これはシャーペンをDTP志向のワープロにパワーアップするキットで、プリンター用ドライバを同梱し縦書きにも対応していることから、シャーペン1本で年賀状すら作成できるようになるので、評判が良かった。

市販のサードパーティ製ゲームソフトとしては、『倉庫番リベンジ SX-68K ユーザー逆襲編』(開発・シンキングラビット、発売・シャープ)、『シムアント』、『シムアース』(以上2作、開発/発売・イマジニア)の3作が知られている。マルチタスクOSなので、『シムアント』と『シムアース』を同時にプレイできるが、とても重い。

一方で、もともとX68000では有志によるソフトウェアの開発が盛んであり、大手パソコン通信サービス「NIFTY-Serve」や草の根BBS「Network-SX NG」などを通じて有志の制作したSX-Window用のプログラムが盛んに配布されていた。開発環境として、シャープ純正の開発環境である「WorkRoom SX-68K」が存在したが、これはSX-Windows ver.2.0までしかサポートしなかった上に機能が低かったことから、有志がGNU C Compiler(GCC)をSX-Window用の特殊機能を追加したうえで移植し、こちらの方が高機能だったので良く使われた。1995年には主要な開発環境やユーザー開発のソフトウェアなどをCD-ROMに収録した、SX-WINDOW用の開発環境の集大成ともいえる『SX-WINDOW Ver 3.1開発キット』が発売された。

「目玉」(xeyes)など、X Window Systemのアプリケーションも有志によって盛んに移植されている。

バージョン履歴

  • 1990年4月 SX-Windows ver.1.0 - 初代。CPU 10MHz・メモリ 2MBのX68000 SUPERには荷が重かった。 市販版は6800円。
  • 1991年4月 SX-Windows ver.1.10 - X68000 XVIの発売に合わせて登場。サブウィンドウ機能の搭載や印刷機能への対応など。 XVIではCPUが16MHzと高速化されたこともあって、多少は使えるようになった。市販版は9800円。
  • 1992年3月 SX-Windows ver.2.0 - X68000 XVI Compactの発売に合わせて登場。アウトラインフォントの採用、デスクトップを広く使える「実画面モード」の採用など。市販版は12800円。
  • 1993年4月 SX-Windows ver.3.0 - X68030の発売に合わせて登場。「シャーペン.X」が付属。市販版は19800円。
  • 1994年5月 SX-Windows ver.3.1 - 「シャーペン.X」にコンソールモードを追加するなど、「シャーペン.X」の強化がメイン。市販版は22800円。
  • 2000年4月 SX-Windows ver.3.1 無償公開版 - 一部のソフトや機能が削除されている。

関連項目

1990年代前半の日本において、SX-WindowのライバルとなるGUI OSがいくつか存在するが、アプリもないしゲームもできないし不安定で重い上に高価なので、いずれも一般消費者にはそれほど人気がなかった。GUI OSとDOSの「ビジュアルシェル」の区別も不明瞭な時代であり、GUI OSのような見た目でDOSアプリが起動できるビジュアルシェルの方が実用的であった。潮目が変わるのはWindows 95が発売された1995年である。

  • Microsoft Windows 3.x - SHARP X68000のライバルであるNECのPC-9801と富士通のFM TOWNSが採用したウィンドウシステム。1993年当時のWindowsはMS-DOSの上で動く疑似マルチタスクOSで、少なくとも日本語版ではまともなアプリも動かないという点ではX68000のSX-WINDOWとそれほど変わりなかった。Windowsが実用段階に入るのはWindows 3.1と初の日本語版「Microsoft Office」が発売される1993年頃からで、アプリが出揃ってDOSよりもWindowsの使用者が多くなるのはWindows 95が発売された1995年以降である。それでもWindowsではゲームが動かなかったため、PC/AT互換機の普及に加えてDirectX3.0対応ゲームが出そろい始める1997年頃までゲーマーはDOSをメインで使っていた。(なお、FM TOWNSに標準搭載されていたTownsOSの「TownsMENU」は「ビジュアルシェル」の域を出るものではなく、GUI OS相当に見えるように改良を続けているうちにWindows 3.1がリリースされたため、以後FM TOWNSでもGUI OSはWindowsが標準となった)
  • 漢字Talk - 1990年当時のライバルであるキヤノン販売マッキントッシュ(米国アップル社が開発)が採用したウィンドウシステム。Mac OSの日本語版である。1990年以前のMacは業務用向けが主で、X68000の標準価格を遥かに超える百数十万円の機種が一般的だったが、1990年冬にMacintosh Classicが19万8000円という非常な低価格で発売されると、その使いやすさで一般消費者にも人気となり、「カラクラ」こと「Macintosh Color Classic」が発売される1993年までにはゲームなど一般向けアプリも多少は出た。GUIのデザイン(漢字Talk 7)がSX-Windowと近く、「カラクラ」や「パフォーマ」なら同じMC68030を搭載したX68030よりも安く買え、金さえ出せばX68030よりも高性能な機種もそろっているので、1993年当時はX68kを見限って初代X68000からX68030ではなくMacに移行する人もいた。ただしOSは不安定で、「爆弾マーク」が頻出した。安定するのは2001年にMac OS Xがリリースされてからである。
  • PanaCAL ET - 松下電器産業の開発したBTRON仕様OSで、Panacom M(富士通FMRのOEM)が採用したウィンドウシステム。1990年に発売された「Panacom M530」でのみ採用された。松下はそれっきりでBTRON仕様OSに対する投資をやめてしまったので詳細不明(MSXは売れていたので松下のホビーパソコン事業はもうしばらく続いた。なお松下のMSXturboR標準の「MSXView」はビジュアルシェルの域を出るものではない)。
  • NeXTSTEP - 1990年に発売されたキヤノン販売のNeXTcube(米国NeXT社が開発)が採用したウィンドウシステム。1989年の正式リリース前から雑誌などに情報が公開されたため、一般にも非常な人気があり、本体は当時のMacよりさらに高い上にアプリもないので数万台しか売れなかったが、その先進性を見込んだキヤノンが1億ドルを超える莫大な投資を行っていた。1996年にアップルが買収し、Mac OS XiOSなどのベースとなった。
  • (Ko-Window) - 1990年、SX-Windowの初版とほぼ同時期に有志が作成してフリーウェアとして公開されたX68000用のウィンドウシステム。シャープ純正のSX-WINDOWよりも動作が軽快だったので人気が高く、EMACSvimなどX Window Systemのアプリがそれなりに移植されたので実用性もあった。市販アプリケーションソフトウェアの発売が期待できなかったが、SX-Windowにしてもそれほど市販アプリが揃っているわけではなく、そもそもソフトがなければ自分で作るのがX68000の精神だった。
  • NetBSD - SX-WindowにはX Window System用ソフトが多く移植されたが、1994年にNetBSDとX Window System自体がX68000に移植されたことから、X Window Systemの支持者にはSX-Windowに代わってこちらをインストールする人もいた。ただし、競合機では既にPentium 100MHz搭載機が出ていた時期に、MC68030 16MHzを搭載した純正X68030で動くNetBSDはとんでもなく遅く、CPUにアクセラレータを噛ませるなど何らかの改造が必要だった。改造方法を指南した本『NetBSD/X68k (X68k Programming Series)』が1995年にソフトバンク社から出版された。

参照

  1. ^ 『SX-WINDOW Ver 3.1開発キット』、p.5、1995年、ソフトバンク株式会社
  2. ^ 『Oh!X』1991年1月号、p.69
  3. ^ 南アフリカからOSを調達するぞ! (1/3) - ASCII.jp
  4. ^ 『Oh!X』p.20、1995年6月
  5. ^ 『Oh!X』p.47、1993年5月
  6. ^ (1) トロンは何故それ以上開発せず、普及もしなかったのでしょうか?(私見ですが)OSとしてはかなり優れていると思うのですがに対するSasaki Tsuyoshiさんの回答 - Quora
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