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NECブルーロケッツ

NECブルーロケッツ(NEC Blue Rockets)はV・プレミアリーグに所属していたNECの男子バレーボールチーム。

NECブルーロケッツ
原語表記 NECブルーロケッツ
ホームタウン 東京都/宮城県仙台市
クラブカラー
創設年 1945年
廃部年 2009年
チーム所在地 東京都港区
体育館所在地 東京都府中市
代表者 木村邦明
監督 竹内実
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概要

日本で最も早く結成されたチームの一つと言われている男子バレーボールチームであり(当初は9人制)、1938年の関東実業団連盟の結成時には、事務局が日本電気三田工場に設置されたという[1]。1945年に戦後の実業団チーム登録第1号となった[1]。1971年に6人制に移行。1977年に実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)入り。1982年に初の日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)昇格。1984年以降は日本リーグ(後にVリーグ、V・プレミアリーグ)から一度も降格しなかった。2009年5月に休部。

チーム名の『ブルーロケッツ』とは、チームカラーでもある『ブルー』は「空」「宇宙」を表していて、『ロケッツ』は21世紀をリードするNECのイメージでありパワー・スピードを備えて未来へと力強く上昇していくことを意味している[2]

練習場は東京都府中市にあるNECニューライフプラザであった[3]神奈川県川崎市の玉川事業場には女子バレーボール部のNECレッドロケッツ(1978年設立)の練習場がある。

日本リーグ・Vリーグ合わせて優勝4回、黒鷲旗全日本大会優勝8回。

歴史

戦前よりバレーボールチームとして存在しており、1945年に実業団チーム登録。

1965年、日本産業人9人制バレーボール男女全国優勝大会で優勝[1]。1971年から6人制に移行し、1973年にチーム強化が始まった[1]。1977年、全日本実業団大会で優勝し、実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)入りを果たす。

そして、第13回実業団リーグ(1981/82シーズン)で準優勝。入替戦で勝利し日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)昇格を果たした。初リーグとなった第16回日本リーグ(1982/83シーズン)での成績は最下位と苦しみ、再び実業団リーグに転落するが、第15回実業団リーグ(1983/84シーズン)で優勝し1年で日本リーグ復帰を果たす。第18回日本リーグ(1984/85シーズン)では7位。以後、第19回7位、第20回6位、第21回7位と苦しい戦いを繰り返しながらも残留し続けた。

第22回日本リーグ(1988/89シーズン)では自己最高の4位に入る。第23回リーグでは準優勝を果たした。第24回リーグも3位と上位の成績を残す。そして、第25回(1991/92シーズン)リーグでついに悲願の初優勝を果たした。また、その後の第41回黒鷲旗全日本大会でも初優勝を果たし、シーズン2冠を達成。第26回日本リーグは準優勝で連覇はならなかったが、第42回黒鷲旗では連覇を果たす。第27回日本リーグでは決勝リーグ6連勝と快進撃、日本リーグ最後の王者となる2回目の優勝を果たした。第43回黒鷲旗でも優勝し、シーズン2冠と黒鷲旗3連覇を達成した。

1994年、日本リーグに替わってVリーグが開幕。1994/95シーズン、第1回大会は3位にとどまる。第44回黒鷲旗も準決勝で敗れ、連覇が3でストップした。しかし、1995/96シーズン、第2回Vリーグでは、金子敏和楊成太泉水智大竹秀之ら大型選手をそろえ、念願のVリーグ初優勝を果たした。第45回黒鷲旗でも優勝し2冠達成。1996/97シーズンは、第3回Vリーグでは3位だが、第46回黒鷲旗で連覇を果たす。第4回Vリーグは決勝で新日鉄(現・堺ブレイザーズ)に敗れ準優勝。第5回Vリーグでは2度目のVリーグ優勝(日本リーグを合わせると4回目の優勝)を達成。第48回黒鷲旗でも優勝し4回目の2冠を達成した。

第6回Vリーグ(1999/2000シーズン)では3位、第7回大会は4位。また、第8回大会も4位に留まる。第9回大会ではレギュラーラウンドを1位で通過しながらファイナルで苦杯を喫し4位となってしまった。しかし、第52回黒鷲旗では4年ぶりの優勝を果たした。

第10回Vリーグ(2003/04シーズン)では、初めてファイナルラウンド進出を逃がし5位に終わる。4強入りを逃すのは、日本リーグ時代も含めて16年ぶりのことである。

2004年に楊成太が監督に就任。第11回Vリーグでは、優勝を逃がしたが、細川延由大村悟らの活躍で準優勝を果たした[1]。第12回大会も3位に入った。

2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグから名称変更)では7位と低迷し入替戦出場となる。東京ヴェルディに第1試合はフルセットに持ち込まれるが、第2試合はストレートで勝ち、連勝で残留した。第56回黒鷲旗では4大会ぶりの優勝。これが黒鷲旗でのチーム最後の優勝となった。2007/08V・プレミアリーグも7位と低迷し、入替戦で警視庁にストレートで連勝して残留。

2008年、竹内実コーチが新たに監督に昇格。2008/09V・プレミアリーグでは、レギュラーラウンド第2レグで5勝2敗の成績を残し、前半戦を終えた時点で8勝6敗の2位タイ(セット率で5位)につける。しかし、第3レグで星を落とし順位も6位に落とす。そして、最終第4レグでは最後に5連敗を喫し7位の豊田合成トレフェルサに順位で逆転され、結局7位で終了しV・チャレンジマッチ(入替戦)出場となる。

V・チャレンジマッチの前となる2009年4月1日、NECが経済不況による経営状況悪化を受けて、ブルーロケッツの廃部・活動停止を検討していることが判明する[4]

V・チャレンジマッチでは、富士通カワサキレッドスピリッツに2試合とも3-1で勝利。第58回黒鷲旗は準々決勝でサントリーサンバーズにストレートで敗れ敗退となり、この試合がチーム最後の公式戦となった。

検討されていた一括移籍も叶わず、5月31日をもって休部となった[5][6]

成績

主な成績

日本リーグ/Vリーグ/Vプレミアリーグ
Vカップ
  • 優勝 1回(2002年)
黒鷲旗全日本大会
国民体育大会成年男子(6人制)

年度別成績

所属 年度 最終
順位
参加
チーム数
試合 勝率
実業団リーグ 第12回 (1980/81) 3位 6チーム 10 7 3 0.700
第13回 (1981/82) 準優勝 6チーム 10 7 3 0.700
日本リーグ 第16回 (1982/83) 8位 8チーム 21 2 19 0.095
実業団リーグ 第15回 (1983/84) 優勝 8チーム 14 14 0 1.000
日本リーグ 第18回 (1984/85) 7位 8チーム 21 3 18 0.143
第19回 (1985/86) 7位 8チーム 21 5 16 0.238
第20回 (1986/87) 6位 8チーム 21 4 17 0.190
第21回 (1987/88) 7位 8チーム 14 3 11 0.214
第22回 (1988/89) 4位 8チーム 17 9 8 0.529
第23回 (1989/90) 準優勝 8チーム 17 12 5 0.706
第24回 (1990/91) 3位 8チーム 17 10 7 0.588
第25回 (1991/92) 優勝 8チーム 20 17 3 0.850
第26回 (1992/93) 準優勝 8チーム 20 11 9 0.550
第27回 (1993/94) 優勝 8チーム 17 14 3 0.824

Vリーグ / 実業団リーグ・V1リーグ

所属 年度 最終
順位
参加
チーム数
試合 勝率
Vリーグ 第1回 (1994/95) 3位 8チーム 21 14 7 0.667
第2回 (1995/96) 優勝 8チーム 21 15 6 0.714
第3回 (1996/97) 3位 8チーム 21 14 7 0.667
第4回 (1997/98) 準優勝 8チーム 21 12 9 0.571
第5回 (1998/99) 優勝 10チーム 18 12 6 0.667
第6回 (1999/00) 3位 10チーム 18 14 4 0.778
第7回 (2000/01) 4位 10チーム 18 13 5 0.722
第8回 (2001/02) 4位 10チーム 18 14 4 0.778
第9回 (2002/03) 4位 8チーム 21 16 5 0.762
第10回 (2003/04) 5位 8チーム 21 10 11 0.476
第11回 (2004/05) 準優勝 8チーム 28 15 13 0.536
第12回 (2005/06) 3位 8チーム 28 18 10 0.643

V・プレミアリーグ / V・チャレンジリーグ

所属 年度 最終
順位
参加
チーム数
レギュラーラウンド ポストシーズン
順位 試合 試合
プレミア 2006/07 7位 8チーム 7位 28 9 19 -
2007/08 7位 8チーム 7位 28 9 19 -
2008/09 7位 8チーム 7位 28 11 17 -

選手・スタッフ

選手

2009年5月の活動休止時のメンバーは、下記の通り。

背番号 名前 シャツネーム 国籍 P 備考
1 金子隆行 KANEKO   日本 WS
2 古賀幸一郎 KOGA   日本 L
3 前田和樹 MAEDA   日本 WS
5 鈴木健太 SUZUKI   日本 MB
6 高橋慎治 TAKAHASHI   日本 S
7 菊地洋之 KIKUCHI   日本 MB
8 濱島哲也 HAMASHIMA   日本 L
9 三上圭治郎 MIKAMI   日本 WS
10 大角竜敏 OSUMI   日本 MB 主将
12 奥谷信彦 OKUTANI   日本 WS
14 柴小屋康行 SHIBAKOYA   日本 WS
16 菅直哉 SUGA   日本 S
17 石倉弘士 ISHIKURA   日本 WS
18 中西了将 NAKANISHI   日本 S  
19 日高裕次郎 HIDAKA   日本 MB  
23 ダニエル・デジデリオ DESIDERIO   イタリア WS

スタッフ

役職 名前 国籍
部長 木村邦明   日本
チームディレクター 中村貴司   日本
監督 竹内実   日本
コーチ 青木一平   日本
マネージャー 齋藤亮子   日本
トレーナー 伊藤良彦   日本
トレーナー 中村由多香   日本
通訳 細井茜   日本
事務長 青野康弘   日本

かつて在籍していた選手

脚注

  1. ^ a b c d e “チーム沿革”. Vリーグ機構. 2013年10月23日閲覧。
  2. ^ “チーム概要”. Vリーグ機構. 2013年10月23日閲覧。
  3. ^ “”. NECブルーロケッツ. 2008年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月23日閲覧。
  4. ^ . SANSPO.COM (産経デジタル). (2009年3月31日). オリジナルの2009年4月1日時点におけるアーカイブ。. 2009年4月1日閲覧。 
  5. ^ "NECブルーロケッツ休部に関する件"[]. NECブルーロケッツ(2009年5月29日)
  6. ^ “弊社男子バレーボール部(NECブルーロケッツ)休部に関する件”. 日本電気株式会社 (2009年5月29日). 2013年10月23日閲覧。

関連項目

外部リンク

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