» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

MBSヤングタウン

MBSヤングタウン』(エムビーエスヤングタウン)は、1967年昭和42年)10月2日からMBSラジオ[注 1]で放送されているラジオ番組。通称は「ヤンタン」で、番組開始から1970年(昭和45年)9月までのタイトルは『歌え! MBSヤングタウン』。

MBSヤングタウン
愛称 ヤンタン
ジャンル 帯番組 / バラエティ番組
放送方式 収録、生放送
放送期間 1967年10月2日 -
放送時間 22:00 - 23:30 (月 - 木、土、日)22:00 - 23:00 (金)
放送局 MBSラジオ[注 1]
制作 MBSラジオ
パーソナリティ 【月】若月佑美工藤遥
【火】オーイシマサヨシ
【水】Aぇ! group
【木】Aマッソ
【金】アリス
【土】明石家さんま
【日】笑福亭鶴瓶
テーマ曲 MBSヤングタウンのテーマ
プロデューサー 大沼耕平
公式サイト 公式サイト
(テンプレートを表示)

当ページでは曜日別の呼称として、便宜上「ヤン○」(○は曜日名の頭文字)という略称を使用する(#エピソードを参照)。なお、現在放送中の金曜日についてはヤングタウン金曜日、土曜日についてはヤングタウン土曜日、日曜日についてはヤングタウン日曜日のページを参照。

概要

1960年代後半から、深夜番組の黄金期を築いてきた番組で、中元清純作曲のフュージョンによるテーマソング(通称『MBSヤングタウンのテーマ』[1])が代々、使われている。

なお、MBS以外のラジオ局が制作・放送した『ヤングタウン』のうち、TBSラジオ1969年(昭和44年)10月から1986年(昭和61年)9月まで関東ローカルで毎週土曜日に放送していた『ヤングタウンTOKYO』シリーズは当番組の姉妹番組に当たる。

NRNに加盟する地方局への裏送り番組として、1975年(昭和50年)4月から1986年(昭和61年)3月まで文化放送が制作していた『ヤングタウンAM』については、当番組とは直接の関係がない。

現在もパーソナリティを務めている笑福亭鶴瓶は1975年(昭和50年)から、明石家さんまは1976年(昭和51年)から出演している。

歴史

番組開始までの経緯

1960年代前半までのMBSラジオは在阪ラジオ局の聴取率において、ラジオ大阪(OBC)ABCラジオの後塵を拝していた。特に深夜帯では、『アナウンサーコーナー』と『ABCヤングリクエスト』の前に、大きく水をあけられていた。

MBSは1967年の春、ラジオ制作部の渡邊一雄ディレクター(当時)が、ラジオ編成部からの指示で、若者向け深夜番組の準備を開始。アップテンポなトークで、フォークソングロックをふんだんに流す番組の計画を練り上げた。

MBSは当番組の本放送を始めるまで、平日の深夜に半年限定。15分間のパイロット番組を放送。渡邊は入社 2年目ながら「若者の兄貴分」という雰囲気を漂わせていた、斎藤努アナウンサーを、この番組のパーソナリティに抜擢した[2]

1960年代

渡邊は本放送を前に、聴取対象を25歳以下の若者に限定し、「子供相手の放送」にしないことと、彼らに連帯感を持たせるべく、毎日放送千里丘放送センター(当時)内で最も広い第1スタジオで、放送日の夕方に公開収録を実施することを決定。
歌え! MBSヤングタウン』のタイトルで、1967年10月1日日曜日)、0:10からの110分番組として本放送を開始した。

開始当初は斎藤が全曜日の公開収録で、パーソナリティを務めた。高橋キヨシ(ギタリスト)と十川尚子(ピアノエレクトーン奏者)をレギュラーに起用した。また、関西地方で活動するアマチュアのフォークグループ(アマチュアバンド)2組を日替わりで出演させるとともに、プロのバンドやフォーク歌手を随時ゲストに迎えていた[3]
第1回のゲストは、当時アマチュアで活動していたザ・フォーク・クルセダーズであった[注 2]

本放送に際しては、MBSラジオ編成部の計らいで、自社制作番組では最も多額の予算を付けられていた。開始当初は公開収録への人出や局内の評価は芳しくなかったが、回を重ねるたびに収録への参加者が増加。ヴィレッジ・シンガーズをゲストに迎えた公開収録(1968年1月)に観覧希望者が殺到したことから、以降の放送では、往復ハガキでの応募を条件に観覧希望者へ参加整理券を配布するようになった[2]

1968年からはMBSテレビで、毎週日曜日に放送していた『スミ子と歌おう』をヒントに、オリジナルソングを毎月1曲ずつ放送する「ヤンタン今月の歌」(後述)を始めた[注 3]

しかし、斎藤は同年4月からプロ野球中継の実況・リポーターも兼務。当番組への出演日が週の前半(月 - 水曜日)に限られるため、それまで月曜日の1コーナーにレギュラーで出演していた桂三枝(現・六代桂文枝)を、週の後半(木 - 土曜日)のパーソナリティに抜擢した。

同時に、収録での演奏に対するアマチュアバンドの応募件数が増加の一途をたどっていたことから、千里丘放送センター第一スタジオなどで、定期的にオーディションを実施するようになった[注 4]

これを機に番組の聴取率は、当時の深夜番組の平均の20倍に相当する4%にまで上昇[2]。当時駆け出しの落語家だった三枝を一躍スターダムに押し上げた。
MBSテレビでも、1969年7月から、斎藤・三枝の出演で当番組のテレビ版にあたる『ヤングおー!おー!』を放送。同年10月からはTBSラジオで、公開生放送形式で『ヤングタウンTOKYO』を開始した。

三枝は当番組と並行しながら『ヤングタウンTOKYO』に放送開始から1975年9月まで、パーソナリティとして出演。毎週土曜日、当番組の収録を終えた後、飛行機による移動を経て、『ヤングタウンTOKYO』の生放送に臨んでいた。

1970年代

1970年には、『ヤングおー! おー!』や大阪万博(千里丘放送センターの近隣で開催)の人気に押されるかのように、当番組への参加者が激減。『ヤングおー! おー!』が軌道に乗ったこともあって、当番組では同年9月、公開収録をいったん終了した[7]

1970年10月から、千里丘センター内ラジオ スタジオからの生放送へ移行するとともに、番組タイトルを現在の『MBSヤングタウン』に改称。当番組を放送する前の初心に還ることを目的に、斎藤を含む、MBSの男性アナウンサーと女性タレントのコンビ(後述)が週2日ずつ、パーソナリティを務めるようになった[8]が半年後、タレントのレギュラー出演を復活。
お笑い主体の路線へ回帰するとともに、人気のアーティストやバンドをゲストに迎えての公開収録を土曜日に再開した。

1972年4月、「今月の歌」を終了させる一方で、10月からは、放送時間を3時間に拡大。1973年4月には夜ワイド枠の放送に昇格して、放送開始時間を22:00に繰り上げた。

1974年2月1日から4月5日までは『只今ヤンタン準備中』(放送時間は平日21:50 - 22:00)が出演者による番宣を兼ねた番組が放送された[9]

1974年10月、日曜日のヤングタウンがスタート(放送時間は最初22:30 - 24:10、のちに22:30 - 23:55)。しかし1年6か月後の1976年3月改編で日曜日のヤングタウンは終了、「ヤン日」はその後1983年10月の再スタートまで途絶える。

1976年4月、『ヤンタンパートII 〜こんばんはこんちゃんです〜』が月曜 - 木曜23:40 - 24:25の枠でスタート(当時24:00までだった本編を短縮)。近藤光史と尾田かずみのパーソナリティが月 - 木の全曜日出演、1977年3月まで放送。

1976年1977年の在阪ラジオ局聴取率調査で、当番組の平均聴取率が10%台にまで到達。在阪 全局、全番組の中で、谷村新司、佐藤良子が出演する水曜日が1位。笑福亭鶴光角淳一佐々木美絵が出演する木曜日が2位を記録している。
この時期を境に、MBS全体の聴取率はOBC、ABCを上回るようになった[注 5]

1980年代

『歌え! MBSヤングタウン』時代から、当番組への出演を続けてきた三枝は、1979年12月1日土曜日)の放送を最後に勇退。同年4月からレギュラーで共演していた明石家さんまを、後任のパーソナリティに起用した。

この時期から、鶴光、谷村、ばんばひろふみに加えて、さんま、島田紳助・松本竜介笑福亭鶴瓶原田伸郎大津びわ子やしきたかじん嘉門達夫西川のりお、、ダウンタウン渡辺美里など、多彩なパーソナリティが登場。
ある曜日のパーソナリティが別の曜日の放送にもゲストで登場するなど、曜日の枠を越えながら、番組を盛り上げるようになった。

また、土曜日の公開収録を1985年3月で終了させる一方で、リスナーも参加・鑑賞できるイベントを積極的に実施。
「ヤンタンオールスターズ」(出演者、スタッフで結成した草野球チーム)が松山千春とんねるずなどの芸能人チームと対戦した「ヤンタン野球大会」(後述)や、1981年SABホールで開かれた角と鶴光による「ど角・ど鶴のええか、ええかコンサート」などが人気を博した。

その一方で、長年のライバルであった『ヤンリク』は、1986年10月3日で、20年半もの歴史に終止符を打っている。

1986年4月には、金曜日のみ『MBSヤングタウン』と『ヤンタンキンド館』の2本立て体制で放送[11]。月 - 木曜日にも1987年4月から1990年4月まで[12]、『MBSヤングタウン』直後の24:45 - 26:30[12]に姉妹番組として『ヤンタン ミュージックゾーン ザ・リクエスト』(『ヤンタンミュージックゾーン THE REQUEST[12])を放送していた[注 6][12]
1987年度のナイターオフ期間には、平松邦夫の出演で、金曜日の19~20時台に『平松邦夫のミセスヤングタウン』を放送していた。

1990年代

MBSは1990年に、千里丘放送センター内のスタジオ機能を現在の社屋(大阪市北区茶屋町)へ移転。当番組は8月31日まで、同センターから放送。
9月1日から現在まで、茶屋町本社内のラジオ スタジオを主に使用している。

在阪 FMラジオ局の台頭、コーナースポンサーの撤退により、1990年代 初頭から番組の人気に翳りが出始めた。1980年代の人気を担った前述のパーソナリティが続々と退任。一時は、東京を中心に活動するタレントや若手ミュージシャンを前面に押し出す路線に転換。『ヤンタン』の名を冠した姉妹番組を続々と放送していた。

1991年10月 - 1993年3月までは、日曜日のみ『ヤンタン スペシャルサンデー』とのタイトルで放送。1992年10月 - 1995年3月までは、『ヤンタン ミュージックゾーン ザ・リクエスト』とほぼ同時間帯(平日午前0時台 - 2時台)に放送する番組として[注 7]、MBSの若手アナウンサーによる『ヤンタンMUSICネトランジェ』(金曜日のみ『ヤンタンMUSICネトランジェ 金曜スペシャル』)を放送していた[注 8]

1994年1月から、月 - 木曜日の放送枠を22:00 - 23:00、23:00 - 1:00の2つに分割。前者は音楽リクエスト番組『ヤンタン はなまるリクエスト』。後者はトークバラエティ番組『ヤンタン あそびのWA!!』を放送。金曜日は『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を22:00 - 1:00に放送した。

1995年10月、『ヤンタン はなまるリクエスト』の放送時間を22:00 - 0:00の2時間に拡大。『ヤンタン あそびのWA!!』を終了させる一方で、『MBSヤングタウン』のタイトルを21ヶ月振りに復活させたうえで、放送枠を月 - 木曜日 0:00 - 3:00(金曜日は1:00 - 3:00)に編成した。

1997年4月、『ヤンタン はなまるリクエスト』『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を終了させる一方で、ヤンタン放送開始30周年を記念して『MBSヤングタウン MUSIC MAX』を開始。『MBSヤングタウン』の放送日を金、土、日曜日に縮小した。

1997年10月、月 - 木曜日の『MBSヤングタウン』を22:00 - 0:00で再開する一方で、『MBSヤングタウン MUSIC MAX』の放送枠を月 - 水曜日の0:00 - 2:00へ移行。

1999年4月、『MBSヤングタウン MUSIC MAX』を終了。『MBSヤングタウン』の月 - 金曜日で、放送枠を23:00 - 25:00に繰り下げるとともに、パーソナリティを一新した。

1999年10月、『MBSヤングタウン』の平日放送を終了[13]。当初は完全終了を予定していたが、明石家さんま(土曜版パーソナリティ)と笑福亭鶴瓶(日曜版パーソナリティ)が番組の続行を懇願した結果、土・日曜日のみ22:00 - 23:30の時間帯でレギュラー放送を続けている。

2000年代

平日には、『MBSヤングタウン』の血統を引き継ぐ番組として、2020年4月改編の時点で『アッパレやってまーす!』(月 - 木・土曜22・23時台)、『ザ・ヒットスタジオ』(火 - 木曜24時台)、『オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜』(土曜深夜)をMBS東京支社からの生放送で編成している。土曜版では、ハロー!プロジェクトの新旧メンバーが「ヤン娘。(やんむす)」として代々パートナーを務める一方で、原則として前日(金曜日)にMBS東京支社内のラジオスタジオで収録した内容を放送。日曜版では一時、「鶴瓶のすわるラジオ」というタイトルで、出演者が座りながらトークを展開する方式の街頭収録を実施していた。

2010年代

MBSが開局60周年を迎えた2010年には、8月30日から9月3日までの1週間にわたって、『毎日放送 開局60周年記念番組 MBSヤングタウン スペシャル』を基本として22:00(JST)から放送(当時編成されていた『MBSタイガースライブ』のナイトゲーム中継を延長した場合には開始時間の繰り下げで対応)。三枝が六代 桂文枝を襲名する直前の2012年7月14日(土曜日)には、「六代 桂文枝 襲名企画」の第1部として、『復活! 桂三枝の歌え! MBSヤングタウン』を公開収録形式での16:00 - 17:38に放送した。

『歌え! MBSヤングタウン』としての放送開始から50年を迎えた2017年には、土曜版の年内最終放送(12月30日)を『20周年モーニング娘。のMBSヤングタウン』(矢口真里吉澤ひとみ田中れいな道重さゆみの出演によるモーニング娘。結成 20周年記念番組)として編成。翌31日(日曜日)の20:00 - 23:30には、当番組の50周年特別番組『MBSヤングタウン 50年クロニクル』(いずれも事前収録)を放送した。

2018年4月6日からは、アリスがパーソナリティを務める『ヤングタウン金曜日[注 10]として、金曜日のレギュラー放送を18年半振りに再開(基本放送枠は22:00 - 23:00)。堀内孝雄以外のメンバー(谷村新司、矢沢透)がかつて平日版のパーソナリティであったアリスが、ラジオ番組ではメンバー全員でレギュラーパーソナリティを務める[14][注 11]。毎日放送が当番組の放送開始 50周年のタイミングで、1986年12月まで金曜版のパーソナリティを務めた谷村に31年半振りのパーソナリティ復帰を打診したことをきっかけに「2019年に再始動を控えるアリスの腕ならし」を兼ねて、平日版の復活に至った[15]。同年5月の再始動以降も、事前収録を中心にレギュラー放送を継続している。

2020年代

日曜版では「すわるラジオ」を経て、MBS本社内のスタジオで収録した内容を中心に放送していたが、2020年4月改編から放送の体制を大きく変更。大阪のMBS本社からの生放送を本格的に復活させた[注 12]一方で、毎月最終週のみ、鶴瓶に代わって三遊亭とむ五代目円楽一門会所属の落語家)と福島暢啓(同局アナウンサー)がコンビでパーソナリティを務めている。

なお、ラジオ・テレビ兼営局だったMBSは、2021年4月1日(木曜日)付でラジオ放送の事業と免許を「株式会社MBSラジオ」へ移管(MBSもテレビ単営局として存続)。当番組では、兼営局時代のスタジオを使い続けながらも、翌2日放送の金曜版からMBSラジオの本社(または東京支社)で制作している。

2021年10月4日から全日(週7日)放送を再開するとともに、全曜日で基本として22:00から放送を開始。金 - 日曜版のパーソナリティが続投する一方で、22年振りに復活する月 - 木曜版では、月曜日に工藤遥(モーニング娘。のメンバー時代にも土曜版へ出演)と若月佑美(元乃木坂46)のコンビ、火曜日にオーイシマサヨシ、水曜日にAぇ! groupから週替わりで2名、木曜日にAマッソがパーソナリティを務める[16]。月・火・木曜放送分は事前収録で、火・木曜は前述した『MBSヤングタウンNEXT』と同様に、収録と連動したリアルタイム配信をRadiotalkで実施。また、金曜以外の曜日で放送時間を1時間30分に統一したほか、2021年10月1日まで22:00から放送してきた『アッパレやってまーす!』の月 - 木曜版を当番組の後枠で続けている(放送開始時刻は基本として23:30)[17]。ただし、MBSラジオでは毎日放送時代から、日本プロ野球のシーズン(3月下旬から日本シリーズ終了までの期間)中にプロ野球のナイトゲーム中継をレギュラーで編成(2014年以降の中継タイトルは『MBSベースボールパーク』)。2022年のシーズン中には、月・金・土曜日で中継を20:35までに終了した場合、火 - 木曜日で中継を21:40までに終了した場合、日曜日で中継を21:00までに終了した場合、曜日を問わず中継を予定していた試合の中止・不成立(ノーゲーム)・予備日開催の消滅などに伴う取り消しの場合および、最初からナイトゲームが一切組まれていない場合(主に月曜日)に限って当番組を定時で放送していた。上記以外の場合には、中継の終了時間に応じて、放送枠の完全スライド方式で放送時間を順次繰り下げている。

その一方で、毎日放送時代の2020年9月27日には、『(ナダル)加藤あばれるのMBSヤングタウンNEXT』を放送。放送上は事前収録だが、Radiotalkでは、収録と連動したリアルタイム配信を実施した[18]。『ナダル加藤あばれるのMBSヤングタウンNEXT』としての放送はこの日限りであったが、2021年度のナイターオフ期間(2021年12月 - 2022年3月)からは、大阪で「次代の漫才界を担う」と目される漫才コンビをパーソナリティに起用した『MBSヤングタウンNEXT』を定期的に編成。ナイターオフ期間中には週3回(毎週火 - 木曜日)、前述したプロ野球シーズン(ナイターイン期間)中には月1回のペース(主に土曜日の夜間)で生放送を実施している[19]

現在の出演者(2022年10月第1週以降)

若月佑美と工藤遥のMBSヤングタウン
オーイシマサヨシのMBSヤングタウン
関西ジャニーズJr. Aぇ! groupのMBSヤングタウン
AマッソのMBSヤングタウン
ヤングタウン金曜日
※いずれも、アリスのメンバー。
ヤングタウン土曜日
※この他に、ハロー!プロジェクトメンバーやモーニング娘。OG、過去のレギュラー出演者などが週替わりで出演。飯窪・横山をはじめ、ハロー!プロジェクトの新旧メンバー(モーニング娘。のOGなど)は、放送上まとめて「ヤン娘。」(ヤンむす。)と称されている。
※月曜日パーソナリティの工藤は、モーニング娘。のメンバー時代に出演していたほか、月曜日パーソナリティの就任後も飯窪/横山の休演回に「ヤン娘。」として登場。
ヤングタウン日曜日
※福島は2020年4月から毎月最終週の『ヤングタウン日曜日月一(つきいち)B面』にのみ、鶴瓶・田口はそれ以外の週(通称『A面』)に出演している。なお、とむは『B面』のみ福島と共同でパーソナリティ、『A面』にアシスタントの1人として出演。藤林は、2022年10月から『A面』のアシスタントに加わっている。
MBSヤングタウンNEXT
日本プロ野球のナイターオフ期間(11月 - 翌年3月)に週3回、ナイターイン期間(4 - 10月)に月1回のペースで生放送。2021年度のナイターオフ期間から放送されていて、同年度には、ツートライブが火曜日、滝音が水曜日、カベポスターが木曜日のパーソナリティを務めていた。
※2022年度以降は、ナイターイン期間中(4 - 10月)にも月に1回のペースで放送されている。
2022年度:パーソナリティをカベポスターに固定するとともに、『カベポスターのMBSヤングタウンNEXT』というタイトルで、プロ野球のナイトゲーム中継を最初から予定していない土曜日の19:00 - 21:00に生放送。
2023年度:プロ野球のナイトゲーム中継を最初から予定していない日曜日に、カベポスターの冠番組『夕凪カベポスター』(2022年度のナイターオフ期間に木曜日で放送を開始)とセットで生放送(『ヤングタウンNEXT』としての放送枠は20:00 - 20:55)。

歴代パーソナリティ

  • 1967/10 - 1968/03 斎藤努(毎日放送アナウンサー・当時)
    開始当初は、深夜0時10分 - 2時に放送される公開録音番組だった。
  • 1968/03 - 1970/09 斎藤努(月 - 水曜日)、桂三枝(木 - 土曜日)
  • 1970/10 - 1971/03 緒方憲吾、前田佳英子(月、火曜日)、池口和雄、壇上英子(水、木曜日)、斎藤努、横井久仁江(金、土曜日)
    上記の事情で、公開収録への参加者が減少していたことに加えて、学生運動の影響で公開収録を休止。スタジオからの生放送へ移行するとともに、当時のMBSアナウンサー(緒方、池口、斎藤)を全曜日でパーソナリティに起用した。
  • 1971/04 - 元の番組内容に戻る。公開録音は、土曜日限定で1985年3月まで続けていた。
    この時期以降のレギュラーパーソナリティは、「放送曜日の増減」「派生番組のレギュラー編成」といった節目を除いて曜日別に記載。
  • 1994/01 - 1995/09 大角香里(平日)
    ヤンタン はなまるリクエスト』(月 - 木曜日)、『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』(金曜日)。月 - 木曜日は、大角が音楽中心のコーナーを担当。金曜日は『はなまるリクエスト』の拡大版として、大角と上泉雄一(MBSアナウンサー)、大阪パフォーマンスドール、花ノ丞、バーバラよねがパーソナリティを務めた。
    『ヤンタン はなまるリクエスト』では、1995年10月から亀井希生(月)、バーバラよね(火→1996年10月から水)、西靖(木→1996年4月から水→1996年10月から火)、古川圭子(水→1996年4月から木)が共演者として付いた。
  • 1997/04 - 09 岡本真夜(月曜)、NOB(CURIO)(火曜)、バーバラよね(水曜)、種浦マサオ(木曜)、大角香里(月曜 - 木曜)
    番組開始30周年を迎え、月曜 - 木曜は音楽リクエスト番組『MBSヤングタウン MUSIC MAX』となり、ヤンタンは金曜、土曜、日曜日に縮小。
  • 1997/10 - 1999/09
    月 - 日曜日の放送に再び戻る。『MBSヤングタウン MUSIC MAX』は平日深夜に枠移動。aiko林あさ美などがパーソナリティを務めた。
  • 1999/10 - 明石家さんま(土曜日)、笑福亭鶴瓶(日曜日)
    月 - 金曜日の平日枠を全廃したことに伴って、土・日曜の週2日放送に移行した。
  • 2018/4 - 谷村新司堀内孝雄矢沢透アリス)(金曜日)、明石家さんま(土曜日)、笑福亭鶴瓶(日曜日)
    金曜日でのレギュラー放送が、1999年9月以来18年半振りに復活した。

月曜日

火曜日

水曜日

  • 1971/04 - 1972/09 斎藤努、中田カウス・ボタン
  • 1972/10 - 1973/03 西岡たかし
  • 1973/04 - 1975/03 月亭八方、斎藤努、田中美紀
  • 1975/04 - 09 笑福亭仁鶴久保田ひろみ
  • 1975/10 - 1976/03 月亭八方、近藤光史、佐藤良子(毎日放送アナウンサー・当時)
  • 1976/04 - 1978/03 谷村新司、佐藤良子
  • 1978/04 - 1987/12 原田伸郎時代
    • 1978/04 - 1980/09 原田伸郎、大津びわ子、笑福亭笑光、伊東正治
    • 1980/10 - 1981/03 原田伸郎、ザ・ぼんち松原みき桂雀々、伊東正治
    • 1981/04 - 09 原田伸郎、松原みき、桂雀々、伊東正治
    • 1981/10 - 1982/09 原田伸郎、イリア、桂雀々、伊東正治
    • 1982/10 - 1983/03 原田伸郎、イリア、嘉門達夫、伊東正治
    • 1983/04 - 1984/09 原田伸郎、イリア、嘉門達夫、金指誠(毎日放送アナウンサー・当時)
    • 1984/10 - 1985/03 原田伸郎、水島依子、MAKOTO、金指誠
    • 1985/04 - 1987/03 原田伸郎、渡辺美里、MAKOTO、金指誠
    • 1987/04 - 12 原田伸郎、西岡芽生、笑福亭笑瓶、金指誠
  • 1988/01 - 1989/01 兵藤ゆき、MAKOTO、子守康範(毎日放送アナウンサー・当時)
  • 1989/02 - 1990/09 兵藤ゆき、本木雅弘、子守康範
  • 1990/10 - 1991/03 長江健次、喜多嶋舞、Mr.オクレ
  • 1991/04 - 1992/09 古田新太羽野晶紀山西惇
  • 1992/10 - 1993/03 古田新太、青木直子、よゐこ
  • 1993/04 - 09 当時日曜深夜放送だった「ラジオディス 茶屋町学園」(ヤンタンの姉妹番組)を引き継ぐ。
  • 1994/01 - 03 よゐこ、堀みやこ 、稲泉ひろこ(おちゃめ組)(「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1994/04 - 1995/03 よゐこ、松本麻希(「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1994/04 - 1995/09 ますだおかだ、松井愛(毎日放送アナウンサー)(「ヤンタンあそびのWA!!」)
  • 1995/10 - 1997/03 ますだおかだ、濱田マリモダンチョキチョキズ・当時)、松井愛
  • 1997/10 - 1999/03 T・K・O、NOB
  • 1999/04 - 09 ベイブルース高山、NOB、中村舞子
  • 2021/10 - 現在 Aぇ! group(週替わりで2名のメンバーが出演)
    関西ジャニーズJr. Aぇ! groupのMBSヤングタウン』とのタイトルで、水曜日の放送を22年振りに復活。

木曜日

  • 1971/04 - 09 桂三枝、市丸
  • 1971/10 - 1972/09 レツゴー三匹、高野久仁子
  • 1972/10 - 1973/03 谷村新司
  • 1973/04 - 1974/03 林家小染末広真樹子
  • 1974/04 - 1975/03 林家小染、桂きん枝、麻田ルミ
  • 1975/04 - 09 近藤光史、月亭八方、佐藤良子
  • 1975/10 - 1976/03 近藤光史、桂きん枝、紀平まり子
  • 1976/04 - 1984/03 笑福亭鶴光、角淳一時代(第3次・金曜日から異動)
    • 1976/04 - 1977/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
    • 1977/10 - 1978/03 笑福亭鶴光、角淳一、原田伸郎、佐々木美絵
    • 1978/04 - 1979/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
    • 1979/10 - 1982/03 笑福亭鶴光、角淳一、石川優子
    • 1982/04 - 1983/03 笑福亭鶴光、角淳一、石毛礼子
    • 1983/04 - 1984/03 笑福亭鶴光、角淳一、西端弥生
  • 1984/04 - 1987/07 島田紳助時代
  • 1987/08 - 1991/10 ダウンタウン時代
  • 1991/10 - 1992/03 YOU、ローリー寺西きんた・ミーノ
  • 1992/04 - 09 大竹まこと、YOU、ローリー寺西
  • 1992/10 - 1993/03 桂小枝、羽野晶紀、千葉猛(毎日放送アナウンサー)
  • 1993/04 - 12 桂小枝、羽野晶紀、つんく
  • 1994/01 - 1995/09 FUJIWARA、つんく、宮田まさみ、佐藤由香(おちゃめ組)(「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1995/10 - 1996/03 FUJIWARA、つんく、藤原みわ
  • 1996/04 - 1997/03 よゐこ、松本麻希
  • 1997/10 - 1999/03 ベイブルース高山、種浦マサオ、中村亜紀
  • 1999/04 - 09 岡本真夜、なるみ鳥羽潤
  • 2021/10 - 現在 Aマッソ
    AマッソのMBSヤングタウン』とのタイトルで、木曜日の放送を22年振りに復活。

金曜日

  • 1971/04 - 09 北山修、松尾千里
  • 1971/10 - 1972/03 杉田二郎、横井くにえ
  • 1972/04 - 09 杉田二郎、田中恵子
  • 1972/10 - 1973/09 キャッシー、山本雄二
  • 1973/10 - 1975/03 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
  • 1975/04 - 1975/09 ばんばひろふみ小山乃里子
  • 1975/10 - 1976/03 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
  • 1976/04 - 1977/03 ピーター、山田芳彰、キャッシー
  • 1977/04 - 1978/03 ピーター、鈴木美智子、伊東正治
  • 1978/04 - 1986/12 谷村新司、ばんばひろふみ時代
    • 1978/04 - 1983/03 谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子
      • 1981/04 - 09(第2部) 矢沢透、河本俊美
      • 1981/10 - 1982/09(第2部) 矢沢透、ジーン長尾
      • 1982/10 - 1983/03(第2部) 矢沢透、牧田朋子(小南竜平・満佑子の母)
    • 1983/04 - 1984/03 谷村新司、ばんばひろふみ、岩崎良美
      • 1983/04 - 09(第2部) 根本要、牧田朋子
      • 1983/10 - 1984/03(第2部) 根本要、白井貴子
    • 1984/04 - 1985/03 谷村新司、ばんばひろふみ、三田寛子
      • 1984/04 - 09(第2部) 長江健次、西端弥生
    • 1985/04 - 1986/03 谷村新司、ばんばひろふみ、松本明子
    • 1986/04 - 1986/12 谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子
「キンド館」は元々の番組企画段階では存在しなかったが、以前から、ヤンタンの大ファンだった兵藤ゆきの懇願により出来た番組。「キンド館」の名前の由来は、「金曜日と土曜日の間にやっている番組」という所から
  • 1987/01 - 1990/09 根本要時代(第1次)
  • 1990/10 - 1993/03 今田耕司、東野幸治時代
この時期は女性アイドルを番組のメインに据え、今田・東野はサブに回っていた

土曜日

1985年3月までは、MBS千里丘放送センター内の第一スタジオ(のちにミリカホールに変更)で公開録音。同年4月以降は、非公開でのスタジオ収録に移行した。現在は、MBS東京支社スタジオで毎週金曜日に収録。

  • 1971/04 - 1979/12 桂三枝時代
    • 1971/04 - 1971/09 桂三枝、斎藤努、週替わりゲスト、桂朝丸(現・桂ざこば)、ジローズ(隔週でTBSラジオ制作・ヤングタウンTOKYO
    • 1971/10 - 1972/03 桂三枝(23:25~1:30公録)、斎藤努(1:30~3:00スタジオでリクエストをヒットチャート方式で送る音楽番組)
    • 1972/04 - 09 桂三枝、近藤光史、亀本友子
    • 1972/10 - 1973/09 桂三枝、近藤光史
    • 1973/10 - 1974/09 桂三枝、近藤光史、桂きん枝、海原千里・万里
    • 1974/10 - 1975/03 桂三枝、近藤光史、月亭八方、コメディNo.1坂田利夫前田五郎
    • 1975/04 - 09 桂三枝、近藤光史、月亭八方、笑福亭鶴瓶、林家染二桂文福、鬼塚泰子
    • 1975/10 - 1976/03 桂三枝、月亭八方、大地真央
    • 1976/04 - 1977/03 桂三枝、月亭八方、中村京子
    • 1977/04 - 09 桂三枝、月亭八方、中村京子、太平サブローシロー
    • 1977/10 - 1979/03 桂三枝、月亭八方、やしきたかじん、中村京子
    • 1979/04 - 09 桂三枝、月亭八方、明石家さんま、中村京子、中村行延、桂三と九、タロー&タロー
    • 1979/10 - 12 桂三枝、月亭八方、明石家さんま、中村京子、桂三と九、島田紳助、松本竜介
  • 1979/12 - 1982/03 明石家さんま時代(第1次)
    • 1979/12 - 1980/03 明石家さんま、月亭八方、中村京子、桂三と九、島田紳助、松本竜介
    • 1980/04 - 09 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、桂三と九、鈴江真理(関岡香アナの姉)
    • 1980/10 - 1981/09 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、長江健次、桂小つぶ、榊原久美子
    • 1981/10 - 1982/03 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、安藤久美子
  • 1982/04 - 1988/12 笑福亭鶴瓶時代(第2次・月曜日から異動)
    • 1982/04 - 1983/03 笑福亭鶴瓶、松田晃、安藤久美子
    • 1983/04 - 09 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、松田晃、黒田伊佐子、安藤久美子
    • 1983/10 - 1984/09 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、松田晃、黒田伊佐子、牧田朋子
    • 1984/10 - 1985/03 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、牧田朋子、ザ・バッテリー
    • 1985/04 - 09 笑福亭鶴瓶、西端弥生
    • 1985/10 - 1986/03 笑福亭鶴瓶、西端弥生、森脇健児
    • 1986/04 - 09 笑福亭鶴瓶、宮崎ますみ、森脇健児
    • 1986/10 - 1988/01 笑福亭鶴瓶、宮崎ますみ、吉條英希
    • 1988/02 - 12 笑福亭鶴瓶、福井希容(柳いろはゆり菜姉妹の母)、ビッグブラザーズ
  • 1989/01 - 09 北野誠、関口誠人、福井希容
  • 1989/10 - 1990/09 北野誠、関口誠人、羽野晶紀
  • 1990/10 - 1991/03 北野誠、古田新太、羽野晶紀、きんた・ミーノ
  • 1991/04 - 10 北野誠、シンデレラエキスプレス久松史奈
  • 1991/10 - 1992/09 兵藤ゆき、たまごどんぶり(公募で選ばれた現役中高生)
  • 1992/10 - 現在 明石家さんま時代(第4次・日曜日「スペシャルサンデー」より異動)
    • 1992/10 - 1997/02 明石家さんま、玉井健二、加藤紀子、村上ショージ(ゲストとして、頻繁に出演。1995年頃から正式にレギュラーへ定着)
    • 1997/03 - 1999/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、(吉村麻希)((マキ凛子))
    • 1999/04 - 2000/09 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、太陽とシスコムーン(のちに「T&Cボンバー」に改名。信田美帆稲葉貴子RuRu小湊美和
    • 2000/10 - 2002/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、安倍なつみ保田圭りんね
    • 2002/04 - 2003/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、中澤裕子松浦亜弥カントリー娘。(準レギュラー。りんね、あさみ里田まい。りんねは途中降板)
    • 2003/04 - 2004/04 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、中澤裕子、あさみ、里田まい、準レギュラー(後藤真希石川梨華加護亜依高橋愛の中から、1人)
    • 2004/04 - 06 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみ、稲葉貴子の中から、2人)
    • 2004/07 - 11 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、安倍なつみ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみの中から、1、2人)
    • 2004/12 - 2006/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみの中から2人。後期は藤本、高橋が実質レギュラー)
    • 2006/04 - 2007/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、藤本美貴、高橋愛
    • 2007/04 - 06/02 明石家さんま、村上ショージ、藤本美貴、高橋愛
    • 2007/06/09 - 2009/10/03 明石家さんま、村上ショージ、高橋愛、道重さゆみ
    • 2009/10/10 - 2011/09 明石家さんま、村上ショージ、高橋愛、道重さゆみ、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子の中から1人)
    • 2011/10 - 2012/03 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子、高橋愛の中から1 、2人)
    • 2012/04 - 2013/03 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、光井愛佳、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子、高橋愛の中から1人)
    • 2013/04 - 2014/11/22 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、飯窪春菜、週替わりゲスト(上記の週替わりレギュラーを含む)
    • 2014/11/29 - 2015/12 明石家さんま、村上ショージ、鞘師里保、飯窪春菜、週替わりゲスト
    • 2016/01 - 2017/12/09 明石家さんま、村上ショージ、飯窪春菜、工藤遥、週替わりゲスト
    • 2017/12/16 - 明石家さんま、村上ショージ、飯窪春菜、横山玲奈、週替わりゲスト

日曜日

1974年10月に放送開始したが、1976年4月改編を以て一度終了、1983年10月16日から放送再開。再開当初の放送時間は23:00 - 25:00だったが、1985年4月14日から他曜日と同じく22:00スタートに変更(23:45まで)。笑福亭鶴瓶がパーソナリティを務める1999年以降は「すわるラジオ」と称して、街頭で収録した時期があった。2020年3月までは基本としてMBS本社(または東京支社)のスタジオで収録した内容を放送していたが、同年4月以降は本社からの生放送を毎週実施している。

  • 1974/10 - 1975/03 桂文珍、小倉もと子
  • 1975/04 - 1976/03 松井昭憲(毎日放送アナウンサー)、小倉もと子
  • 1983/10 - 1989/08 西川のりお小林千絵柏木宏之(毎日放送アナウンサー)
  • 1989/08 - 1990/10 西川のりお、澤知香、柏木宏之、西川小のり
  • 1990/10 - 1991/09 兵藤ゆき、たまごどんぶり(公募で選ばれた現役高校生)
  • 1991/10 - 1992/09 「ヤンタン スペシャルサンデー」時代
    • 明石家さんま、石田敦子(「ヤンタン スペシャルサンデー 明石家さんまのなんでもこい!」22:00 - 23:00)
    • 浜村淳、関岡香(毎日放送アナウンサー)(「ヤンタン スペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス」23:00 - 23:45;1993年3月まで)
  • 1992/10 - 1994/12 ぜんじろう、種浦マサオ、小高紀子(現・(小高麻友美))、お笑い番長
1993年3月までは公開収録形式で、23:00まで放送。それ以降は、スタジオからの放送を復活した。
  • 1995/01 - 1996/10 ぜんじろう、比嘉栄昇BEGIN)、渡辺たかね
  • 1996/10 - 1997/09 ぜんじろう、 ベイブルース高山、高木郁乃Jungle Smile
  • 1997/10 - 1999/03 ぜんじろう、宮内見、週代わりゲスト
  • 1999/04 - 現在 笑福亭鶴瓶時代(第3次)
    • 1999/04 - 2000/09 笑福亭鶴瓶、西靖(毎日放送アナウンサー)、堀ちえみ
    • 2000/09 - 2004/03 笑福亭鶴瓶、西靖、松嶋尚美オセロ
    • 2004/04 - 2006/04 笑福亭鶴瓶、西靖、井上智栄子
    • 2006/04 - 2007/03 笑福亭鶴瓶、西靖、(オラリー)(素人)、田口万莉、(國丸純)
    • 2007/04 - 2009/04 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー、田口万莉、笑福亭瓶成
    • 2009/05 - 07 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー、田口万莉
    • 2009/08 - 2010/02 笑福亭鶴瓶、西靖、負け越し(素人)、林実里(素人)、田口万莉
    • 2010/03 - 09 笑福亭鶴瓶、西靖、負け越し、田口万莉
    • 2010/09 - 2014/01 笑福亭鶴瓶、吉竹史(毎日放送アナウンサー・当時)、負け越し、田口万莉、桂三四郎
    • 2014/01 - 2016/06 笑福亭鶴瓶、福島暢啓(毎日放送アナウンサー)、負け越し、田口万莉、桂三四郎
    • 2016/07 - 2020/03 笑福亭鶴瓶、福島暢啓、田口万莉、三遊亭とむ
    • 2020/04 - 2021/07 笑福亭鶴瓶、三遊亭とむ、福島暢啓、田口万莉、森本尚太(毎日放送アナウンサー・当時)
毎月最終週(『ヤングタウン日曜日月一B面』)のみ三遊亭とむ・福島コンビ、それ以外の週に鶴瓶、とむ、田口、森本が出演する体制へ変更。とむは月1回の担当ながら、東京を中心に活動する落語家から番組史上初めてメインパーソナリティに起用された[20]
  • 2022/08 - 2022/09 笑福亭鶴瓶、三遊亭とむ、福島暢啓、田口万莉
福島が出演しない週の放送(『A面』)では、森本の後任選びを兼ねた暫定措置として、毎日放送の女性アナウンサーが週替わりで出演。
  • 2022/10 - 笑福亭鶴瓶、三遊亭とむ、福島暢啓、田口万莉、藤林温子(毎日放送アナウンサー)
毎日放送で森本の同期アナウンサーに当たる藤林を、『A面』のアシスタント(森本の後任)として正式に採用。

ヤンタンミュージックゾーン THE REQUEST

月曜日
  • 1987/4 - 1987/09 増田一樹(毎日放送アナウンサー・当時)、大谷昌子
  • 1987/10 - 1989/03 佐藤良子、マヤ
  • 1989/4 - 1989/09 加藤康裕(毎日放送アナウンサー・当時)、(中村えみ)
火曜日
  • 1987/4 - 1989/09 今野秀隆(毎日放送アナウンサー・当時)、鳥居睦子
水曜日
  • 1987/4 - 1989/03 金指誠(毎日放送アナウンサー・当時)、(松川美貴子)
  • 1989/4 - 1989/09 増田一樹、小田静枝
木曜日
  • 1987/4 - 1987/09 佐藤良子、マヤ
  • 1987/10 - 1989/09 増田一樹、大谷昌子
月 - 木 全曜日
  • 1989/10 - 1990/03 増田一樹、小田静枝、米田元信

ヤンタンMUSICネトランジェ

月曜日
  • 1992/10 - 1993/03 亀井希生(毎日放送アナウンサー)、(波江野陽子)
  • 1993/4 - 1994/03 亀井希生、鳥居睦子
  • 1994/4 - 1995/03 亀井希生、多田仁美
火曜日
  • 1992/10 - 1993/03 亀井希生、波江野陽子
  • 1993/4 - 1995/03 千葉猛(毎日放送アナウンサー・当時)、波江野陽子
水曜日
木曜日
  • 1992/10 - 1994/03 加藤康裕、多田仁美
  • 1994/04 - 1995/03 加藤康裕、鳥居睦子
金曜日
  • 1992/10 - 1994/09 子守康範(毎日放送アナウンサー・当時)、石田敦子(毎日放送アナウンサー・当時)、環のり子
  • 1994/10 - 1995/03 石田敦子、環のり子

特別番組・派生番組

毎日放送開局60周年記念番組 MBSヤングタウン スペシャル

2010年8月30日から9月3日まで放送された。

  • 8月30日「さんまのヤンタン スペシャル」
    • 明石家さんま、村上ショージ、大津びわ子、藤本美貴、伊東正治
  • 8月31日「伸郎のヤンタン スペシャル ねたナイト」
    • 原田伸郎、嘉門達夫、奥野敦子(イリア)
  • 9月1日「ヤンタン スペシャル なつかしSONGリクエスト!」
    • 根本要、渡辺美里、バーバラよね
  • 9月2日「ヤンタン スペシャル なつかしSONGリクエスト!」
    • ばんばひろふみ、イルカ
  • 9月3日「鶴瓶のヤンタン スペシャル」
    • 笑福亭鶴瓶、西靖(毎日放送アナウンサー)、田口万莉、負け越し(素人)、吉竹史(毎日放送アナウンサー・当時)

復活! 桂三枝の歌え! MBSヤングタウン

当番組で三枝と長らく共演した後に、羽衣国際大学名誉教授になった斎藤努が、久々にラジオ番組へ出演。三枝のパートナーとして、公開収録の進行役を務めた。月亭八方、桂きん枝、杉田二郎などがゲストで登場。

かつて当番組で使われたジングルや音源を挿入し、『歌え! MBSヤングタウン』時代の企画を復活。杉田が、歌と演奏を披露した。
三枝は当番組の放送の翌々日(2012年7月16日)に「六代 桂文枝」を襲名。当番組が「桂三枝」名義で出演する最後の番組になった。

オープニングは、西靖が、口上代わりのナレーションを担当した。

MBSヤングタウン 50年クロニクル

2017年12月31日(日曜日)の20:00 - 23:30に、事前収録方式で放送。放送時点で日曜版のアシスタントを務める福島暢啓(毎日放送アナウンサー)[注 14]がスタジオ進行を担当したほか、平日版のパーソナリティ経験者である原田伸郎・嘉門タツオ[注 15]・伊東正治や、 放送時点で『ヤマヒロのぴかいちラジオ』『茶屋町ヤマヒロ会議』(いずれもMBSラジオ)のパーソナリティを務める山本浩之[注 16]フリーアナウンサー)をスタジオゲストに迎えた。

また、前述の出演者によるスタジオパートとは別に、平日版のパーソナリティコンビ(桂文枝・斎藤努、角淳一・笑福亭鶴光、明石家さんま・大津びわ子、谷村新司・佐藤良子)、平日版パーソナリティの1人だった根本要[注 17]、放送時点での日曜版レギュラー出演者(福島・笑福亭鶴瓶・田口万莉・三遊亭とむ)が登場する「スペシャルトーク」を収録。事前の募集を通じてリスナーから寄せられた秘蔵音源、平日版の放送から生まれたヒット曲、往年のリスナーやつんく♂からのメッセージも交えながら、50年の歴史を時代ごとに紐解いていた[21]

MBSヤングタウンNEXT

MBSヤングタウンNEXT
愛称 ヤンネク
ジャンル 帯番組 / バラエティ番組
放送方式 原則生放送
放送期間 2021年11月30日 -
放送時間 火 - 木曜21:00 - 22:00
放送局 MBSラジオ
制作 MBSラジオ
パーソナリティ 火曜日
ツートライブ(2021年度)
滝音(2022年度)
水曜日
滝音(2021年度)
マユリカ(2022年度)
木曜日
カベポスター(2021年度)
ツートライブ(2022年度)
公式サイト 公式サイト
特記事項:
『カベポスターのMBSヤングタウンNEXT』のみ、2022年4月から10月まで、月に1回のペースで土曜日の19:00 - 21:00に放送。
(テンプレートを表示)

『MBSヤングタウン』の全曜日レギュラー放送が復活したことを契機に、『ヤングタウン』の次世代(NEXT)を担うパーソナリティを発掘・育成すべく、2021年度から日本プロ野球のオフシーズン(ナイターオフ期間)を中心に放送。ナイターオフ期間の放送では、吉本興業所属の漫才コンビが日替わりでパーソナリティを務めることから、放送上は『(パーソナリティのコンビ名)のMBSヤングタウンNEXT』というタイトルを用いている。

2021年度の「第1期」(2021年11月30日 - 2022年3月24日)には、ツートライブが火曜日、滝音が水曜日、カベポスターが木曜日のパーソナリティを担当していた。当初はナイターオフ期間限定での放送を予定していたが、木曜分(『カベポスターのMBSヤングタウンNEXT』)のみ、2022年度のナイターイン期間(2022年4 - 10月)にも編成。MBSラジオがプロ野球のナイトゲーム中継を放送しない土曜日に、月1回のペースで19:00 - 21:00に放送を続けていた。

なお、MBSラジオは2022年度のナイターオフ期間に、カベポスターを『夕凪カベポスター』(2022年11月3日から毎週木曜日18:00 - 20:00に生放送)のパーソナリティへ起用した。当番組では、1日(火曜日)から「第2期」の放送を開始する一方で、カベポスターに代わってマユリカがパーソナリティ陣に参加。「第2期」では、火曜日に滝音、水曜日にマユリカ、木曜日にツートライブが2023年3月までパーソナリティを務めている[22]

2023年度は、タイガース戦がデーゲームである場合の原則月1回ペース(4月16日5月21日=当日はプロ野球が全部デーゲームである)に、本来『MBSベースボールパーク番外編』を流すべき時間帯である18:00-20:55に『夕凪カベポスター』(20:00まで)と『ヤンタンNEXT』(4月16日滝音、5月21日バッテリィズ)(20:00以後)を生放送する予定。

主なスタッフ

  • 渡邊一雄(わたなべ かずお)
    「ヤンタン」の生みの親(創始者)。1967年10月の『歌え! MBSヤングタウン』の放送を開始してから、1987年にテレビ制作部の部長職へ異動するまで、20年間にわたってプロデューサーを務めた。
    出演した多くのタレントアナウンサーの育ての親もあり、後述する渡辺姓のスタッフと区別する意味で、オオナベさんとも呼ばれていた。
    テレビ制作部への異動後は一時期、次長職で、ラジオ局に復帰。1997年6月に、MBSを定年退職。2005年7月に『ヤンタンの時代。』を刊行した(発行:キッズネット・発売:角川書店。2005年7月発行。書籍コード:(ISBN 4048943405))。
    2010年10月11日、75歳で逝去。同年12月6日にシアターBRAVA!で開かれた渡邊の「偲ぶ会」には、歴代パーソナリティの三枝、谷村、当時活動を休止していたCHAGE and ASKAが久々に顔を揃えた[23]
  • 渡辺高志(わたなべ たかし)
    1979年から1983年まで、ディレクターを担当。コナベさんという通称でも知られた。

この他にも、大谷武文田中文夫、宇野幹雄、増谷勝己、影山貴彦三村景一新堂裕彦神津梓などが、ディレクターやプロデューサーを歴任。1970年代から1980年代までは、『ヤングおー!おー!』のスタッフから放送作家に転じた寺崎要が、番組全体を統括するチーフ構成の任に当たっていた。

エピソード

  • 1968年1月から始まった「ヤンタン 今月の歌」では、通算52曲のオリジナルソングを発表した[24]。放送終了した1982年4月には「今月の歌」をまとめた『ヤンタン ソング集』が、ミリカ音楽出版から刊行[25]。『歌え! MBSヤングタウン』の放送開始から25周年に当たる1993年4月15日には「今月の歌」から19曲を収めたCDアルバム『MBSヤングタウン 今月のうた』がポリスターから発売されている(EANコード:4988023022321)。
  • 公開収録を実施していた1968年、1970年、1971年には、当番組と縁の深い歌手やバンドの出演による「ヤンタンフェスティバル」を、年に1~2回開催。1970年1月7日にフェスティバルホールで開かれた第2回については開催後、実況録音盤のレコードを発売した[25]
  • 1981年5月28日には「ど角・ど鶴のええか、ええかコンサート」(前述)、1985年と1987年の8月には「明石家さんまコンサート」、1988年6月にはダウンタウンによる「もくもくコンサート」をそれぞれ開催。1988年には「ヤン金」レギュラーだった根本・野沢などが「フライデーモンスターズ」というバンドを結成した。1989年には、当時の「ヤン土」レギュラー(北野、関口など)で結成したバンドが12月24日の「クリスマス御陽気にコンサート」でライブデビューを果たしている[25]
  • 1983年と1986年~1988年の5月には、「ヤンタン オールスターズ」と芸能人チーム(1983年:松山千春チーム「スーパースターズ」/1986年:チェッカーズチーム/1987年:とんねるずチーム[27]/1988年:仲村トオルチーム「デンジャーズ」)による「ヤンタン野球大会」を西宮球場(1983年)、甲子園球場(1986年)、大阪スタヂアム(1987年・1988年)で実施。当時の「ヤン月」レギュラーでスポーツアナウンサーでもあった伊東が場内で実況を担当した。また、開催日の深夜には、MBSテレビで特別番組の生放送を実施した。
  • 当番組でレギュラーを務めたMBSアナウンサー(出演時点)のうち、出演期間が最も長いのは角と伊東である(いずれも12年間)。
  • 紳助が「ヤン木」のパーソナリティを務めていた1985年8月には、生駒山上で「ヤン木 モトクロスフェスティバル」を開催している[25]
  • 1984年5月27日日曜日)には『ヤンタンスペシャル』として、当時裏番組だったABCヤングリクエスト朝日放送ラジオ)のパロディ的番組『ABCDヤングリクエスII(ツー)』が放送された(25:00(午前1時) - 26:30(午前2時30分)放送)。パーソナリティは長井展光、(八島洋子)、太平サブロー・シロー。放送されたコーナーは「ヤンリク真似カレンダー」「汽車ポッポの旅うれし」など[28]
  • さんまは1985年8月12日(月曜日)に、当番組へ出演すべく、羽田空港発・伊丹空港行きの(123便への搭乗を予約していた)。実際には、搭乗前の仕事であった『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の午後の収録が予定より早く終了。123便の予約を解除したうえで1本早い全日空便で大阪へ移動したところ、当日の夕方に(123便の墜落事故)が発生したため、当番組では全てのコーナーを急遽休止。大半の時間帯を事故関連のニュースに充てたうえで、さんまからのリクエスト曲をニュースの合間に流す措置を講じた。さんまは間髪で難を逃れたものの、当番組の本番では、「今日はあほなこと言う気にならん」と嘆くほど低いテンションに終始。長江からのリクエストで「ハイスクールララバイ」(長江がイモ欽トリオの一員として歌っていた1981年のヒット曲)が流れた直後には、「お前、こんな日にしょうもない(下らない)歌流しやがって。そんなやから欽ちゃん(「イモ欽トリオ」の生みの親である萩本欽一)にも愛想尽かされるんじゃ」という真剣な口調で、放送中にもかかわらず長江を説教するという有様だった。ちなみに、さんまはこの事故をきっかけに、毎日放送の本社で制作する番組への出演以外でも東京と大阪の往来に東海道新幹線を利用するようになった[29]
  • 1989年8月6日に千里丘放送センターで開催の「ヤンタンTeen's 学園祭」では、長らく「ヤン日」のアシスタントを務めた小林千絵の後任を決める目的で「ヤン日オーディション」を実施。オーディションで優勝した現役高校生の澤が同月から1990年9月まで「ヤン日」のアシスタントを務めた(前述)[注 19]。また、1990年春には「ヤン土」でも同様のオーディションを実施。そこで選ばれた現役中高生が「たまごどんぶり」名義で同年4月から半年間レギュラー出演していた[25]
  • 笑福亭笑光時代から断続的に出演していた嘉門達夫は、平日版放送終了後の2015年に、「自伝的青春小説」という触れ込みで『丘の上の綺羅星』を幻冬舎から発売((ISBN 978-4344028326))。当番組にまつわる自身の経験、芸能人としての自身のルーツ、渡邊一雄が逝去する直前収録したインタビューの内容などを交えながら、「伝説のラジオ番組『ヤングタウン』に育てられたある男の物語」を綴っている。
  • 毎日放送のラジオ本放送開始65周年に当たる2016年には、1990年代の中盤に木曜日でパーソナリティを務めたつんく♂が、65周年記念企画の一環でMBSラジオのステーションソングを制作。つんく♂のメジャーデビュー前に平日版の放送で人気を博した「ハッピートゥデー」(リスナーが生放送中に電話でパーソナリティとのトークに参加できるコーナー)にちなんで、「Thank you! Happy today! ~MBSラジオのうた~」というタイトルを冠した[31]ほか、『ヤンタン』シリーズでのレギュラー経験を持つ浜村・近藤光史・子守・鳥居・上泉・松井愛がボーカルで参加した[32]。当時平日の夕方に放送されていた『上泉雄一のええなぁ!』(上泉がメインパーソナリティを務める生ワイド番組)では、放送枠を平日の早朝に移動する直前(2021年9月)まで、この曲をエンディングのテーマソングに使用している。
  • 嘉門がアミューズへ所属していた時代に同社の社員(嘉門のマネジャー)として当番組へ頻繁に登場していた浜田尊弘(放送上の呼称は学生時代の愛称でもある「チロリン」)は、毎日放送への中途入社(1992年)を経て取締役にまで昇進すると、株式会社MBSラジオ(公式の通称は「Mラジ」)の初代代表取締役社長へ就任。2021年6月までは毎日放送の取締役と兼務していたが、社長職への専念後(2022年5月)に根本を「Mラジ1周年PR大使」へ任命している。
  • 2022年度の年末年始期間(2022年12月30日 - 2023年1月3日)には、レギュラーの放送枠のまま全日放送を実施した。年末年始期間における全日放送は、2021年の10月改編で全曜日のレギュラー放送を再開してから初めてだったが、パーソナリティの顔触れは再開以降のレギュラー陣(◎)とかなり異なっていた。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b 2017年3月31日までは認定放送持株会社移行前のため(初代)毎日放送(現・MBSメディアホールディングス)、2017年4月1日 - 2021年3月31日は分社化前のため(2代)毎日放送
  2. ^ 当番組への出演時点で解散を決めていたが、出演直後に『帰ってきたヨッパライ』(自主制作によるLPレコード『ハレンチ』の収録曲)が空前の大ヒットを記録した[4]
  3. ^ 『スミ子と歌おう』は、当時MBSテレビで毎週日曜日の午前9時台に放送。エンディングで坂本が「今月の歌」を披露していた。『戦争は知らない』(寺山修司作詞・加藤ヒロシ作曲)も、最初は「今月の歌」として発表されていた[5]
  4. ^ 後に当番組でディレクターを務める大谷・宇野・増谷も、学生時代にオーディションへ参加していた[6]
  5. ^ この影響で、ABCは『ABCヤングリクエスト』のリニューアルを実施。OBCは裏番組として、1970年から放送して来た『ヒットでヒット バチョンといこう!』の終了を余儀なくされた[10]
  6. ^ 当時ヤンタンシリーズの各番組においては箱番組が存在していなかったが、『ミュージックゾーン』ではぽっぷん王国ニッポン放送制作)を内包していた。
  7. ^ 1990年4月 - 1992年9月までは、平日午前0時台 - 2時台の時間帯では『ぱんげあクラブ』を放送。
  8. ^ 現在(2018年4月の時点)でもMBSの現役アナウンサーである馬野雅行千葉猛亀井希生。放送当時、アナウンサーだった石田敦子(現在はMBS東京支社 報道部記者)などが、日替わりでパーソナリティを担当。1993年には『ヤンタンMUSICネトランジェ 金曜スペシャル 真夜中のLOVE SONG』が 日本民間放送連盟賞 ラジオ娯楽部門の最優秀賞 を受賞した。
  9. ^ 谷村がアリスの活動休止期間中(1992年)に、「三都物語」(JR西日本が大阪・神戸・京都を舞台に展開する観光キャンペーン)用の楽曲として『三都物語』を提供した縁でスポンサーに付いた。放送上はコーナーの変わり目ごとに当番組のジングルを入れているが、同社のCMはオープニングの直後にしか流れていない。
  10. ^ JR西日本[注 9]の単独提供による事前収録番組
  11. ^ MBSラジオでは2009年8月6日にも、『MBSうたぐみ Smile×Songs』枠の特別番組として『アリスのヤングタウン』を放送している。当時の『うたぐみ』パートナーから、松本麻衣子(MBSアナウンサー)がアリスのサポート役で出演したため、アリスの3人だけが登場するラジオ番組は『ヤン金』が初めてである。
  12. ^ 日曜日の夕方に編成されている『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』(ニッポン放送制作の関東ローカル番組)もこの時期から原則として生放送を実施しているが、鶴瓶はニッポン放送の関西支社(MBSの本社と同じ大阪市北区に所在)から出演。
  13. ^ 1994年10月31日、メンバーの河本栄得が他界。
  14. ^ 毎日放送の放送対象外地域である宮崎市の出身。担当時点での年齢は30歳で、平日版の放送をリアルタイムで聴取した経験はないが、土・日曜版レギュラー出演者でただ1人現役の毎日放送アナウンサーであることから進行役に抜擢。
  15. ^ 平日版にレギュラーで出演していた期間中の芸名は「笑福亭笑光」→「嘉門達夫」
  16. ^ 学生時代に平日版のヘビーリスナーであった縁でゲスト出演。大阪府泉佐野市の出身で、出演時点の年齢は55歳だった。
  17. ^ パーソナリティへの起用を機に、当時放送されていた「ハッピートゥデー」のジングルも制作。
  18. ^ 元々はベトナムのヒットソングで、ベトナム戦争の取材で現地に赴いていたMBS報道部の浅井記者による紹介をきっかけに日本語版を制作。瀬尾の編曲・浅川しげるの日本語詞によるバージョンをマイケルズが歌っていた[26]
  19. ^ 澤は後に東北放送アナウンサーを経てフリーアナウンサーとして再びMBSラジオの番組(『ノムラでノムラだ♪』→『子守康範 朝からてんコモリ!』)でアシスタントを務めている[30]

出典

  1. ^ アルバムCD『MBSヤングタウン 今月の歌』にも記載
  2. ^ a b c 『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 斎藤努編」より
  3. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた ザ・フォーク・クルセダーズ編」より。
  4. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章の「ザ・フォーク・クルセダーズ編」より。
  5. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた ロック・キャンディーズ編」より。
  6. ^ 『ヤンタンの時代』第二章の「ロック・キャンディーズ編」より。
  7. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた 北山修編」より。
  8. ^ 『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 笑福亭鶴光・角淳一編」より
  9. ^ 毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.177
  10. ^ 『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 笑福亭鶴光・角淳一編」より。
  11. ^ 『なつかしラジオ大全』P142
  12. ^ a b c d 『なつかしラジオ大全』P144
  13. ^ 本放送枠のコンセプトを一部踏襲したXXX枠『オレたちXXXやってま〜す』へ転換。
  14. ^ MBS『ヤンタン』18年半ぶり金曜枠復活 アリスがパーソナリティー就任(『ORICON STYLE2018年3月23日付記事)
  15. ^ “MBSヤンタン金曜枠が19年ぶりにアリスで復活! 4月6日から” (日本語). サンケイスポーツ. https://www.sanspo.com/article/20180324-Q2KSFMEF4FI7HGWHJDVY4UUWOE/2/ 2018年4月10日閲覧。 
  16. ^ “「MBSヤングタウン」月曜に若月佑美&工藤遥 元乃木坂×モー娘タッグ” (日本語). 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202109220000403.html 2020年9月22日閲覧。 
  17. ^ “MBSラジオ「アッパレやってまーす!」が23時30分開始に 極楽とんぼが土曜へ” (日本語). デイリースポーツ. https://www.daily.co.jp/gossip/2021/09/22/0014699112.shtml 2020年9月22日閲覧。 
  18. ^ “ナダル、あばれる君、ゲーム実況者・加藤純一の新番組「MBSヤングタウンNEXT」始動” (日本語). お笑いナタリー. https://natalie.mu/owarai/news/395268 2020年9月17日閲覧。 
  19. ^ “「ヤンタン」月曜新パーソナリティーに元乃木坂・若月佑美&元モー娘。工藤遥 MBSラジオ改編会見” (日本語). スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/09/22/kiji/20210922s00041000340000c.html 2020年9月22日閲覧。 
  20. ^ 三遊亭とむ、東京の落語家初!MBS「ヤンタン」毎週最終日曜のメインパーソナリティーに(『スポーツ報知2020年3月22日付記事)
  21. ^ MBSラジオ ヤンタン50歳 大みそかに特番(『毎日新聞2017年12月12日付記事)
  22. ^ MBSラジオ「ヤングタウンNEXT」第2期は滝音、マユリカ、ツートライブが担当(『お笑いナタリー』2022年10月7日付記事)
  23. ^ 渡邊一雄さん:ヤンタンの名プロデューサーを「偲ぶ会」チャゲアスも久々ツーショット - 毎日新聞デジタル、2010年12月7日
  24. ^ a b c 『ヤンタンの時代。』巻末の「ヤンタン今月の歌リスト」より
  25. ^ a b c d e 『ヤンタンの時代。』に所収の「<ヤングタウン出演者年表1967 - 90>」より
  26. ^ 『ヤンタンの時代。』掲載の「『ヤンタン今月の歌』」より。
  27. ^ 「ローソン,ハウス食品~異業種タイアップイベント(毎日放送)」『企業と広告』第13巻第8号、チャネル、1987年8月1日、22 - 23頁、(NDLJP):2853053/14。 
  28. ^ 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年9月1日、179頁。 
  29. ^ “【日航機墜落30年】難を逃れた芸能人たち さんまがIMALUに込めた思い”. 東スポWeb. (2015年8月13日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/125561 
  30. ^ 『ヤンタンの時代。』掲載の「<ヤングタウン出演者年表1967 - 90>」より。
  31. ^ “ヤンタン”の縁 つんく♂が「MBSラジオのうた」制作(『THE PAGE』2016年7月14日付記事)
  32. ^ 「Thank you! Happy today! ~MBSラジオのうた~」ミュージックビデオ

参考資料

  • 渡邊一雄著『ヤンタンの時代。』(詳細は、#主なスタッフを参照)
  • なつかしラジオ大全(『三才ムック』vol.505。2012年6月28日発売・7月1日発行、三才ブックス)(ISBN 4861994829)

関連項目

  • MBSラジオ番組一覧
  • ヤンタン茶屋町学園 - 1992年10月から1993年3月まで、日曜日の深夜に放送された姉妹番組。1993年4月から「ヤン水」へ移行。
  • MBSミュージックタウン - 1992年度のナイターオフ期間に、当番組の前枠で放送された姉妹番組。「MBSヤングタウンのテーマ」のテクノバージョンをオープニング曲に使用。
  • (歌え! MBSヤングタウン同窓会) - 毎日放送千里丘放送センターの解体を前に、「MBS千里丘フェスティバル」の一環で放送された公開収録番組。齋藤努・桂三枝らが出演。
  • Jimmy〜アホみたいなホンマの話〜

外部リンク

番組公式サイト

  • MBSヤングタウン
    • 若月佑美と工藤遥のMBSヤングタウン
    • オーイシマサヨシのMBSヤングタウン
    • 関西ジャニーズJr. Aぇ! groupのMBSヤングタウン
    • AマッソのMBSヤングタウン
    • アリスのMBSヤングタウン
    • ヤングタウン土曜日 - 毎回の収録直後に更新される「message(ヤン土スタッフメッセージボード)」で、収録回の出演者や放送内容を発表。
    • ヤングタウン日曜日 - 放送済みの音源を、ほぼ全編にわたって、放送の翌週からYouTube内のMBSラジオ公式チャンネルで順次配信。
    • MBSヤングタウン 50年クロニクル - 『歌え!MBSヤングタウン』の放送開始から2017年12月時点までのレギュラーパーソナリティ全員の一覧表をPDFファイルで公開。
  • MBSヤングタウンNEXT

番組Twitterアカウント

  • 若月佑美と工藤遥のMBSヤングタウン (@yantanmonday) - Twitter
  • オーイシマサヨシのMBSヤングタウン (@yantan_oishi) - Twitter
  • Aぇ! groupのMBSヤングタウン (@A_yantan1179) - Twitter
  • AマッソのMBSヤングタウン (@amassoaa) - Twitter
  • ヤングタウン土曜日 (@yando_staff) - Twitter
  • ヤングタウン日曜日 (@yantansunday) - Twitter
  • ヤングタウンNEXT (@next_yantan) - Twitter
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。