アソシアシオン・スポルティヴ・ドゥ・モナコ・フトボル・クルブ(フランス語: Association Sportive de Monaco Football Club)は、モナコを本拠地とするサッカークラブである。通称、ASモナコ(AS Monaco フランス語発音: [ɑ.ɛs mɔnako])またはモナコ(Monaco)。
ASモナコFC | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Association Sportive de Monaco Football Club | |||
愛称 | Les Rouge et Blanc(赤と白) LES MONEGASQUES | |||
クラブカラー | 赤 白 | |||
創設年 | 1919年 | |||
所属リーグ | リーグ・アン | |||
所属ディビジョン | 1部(2022-23) | |||
ホームタウン | モナコ | |||
ホームスタジアム | スタッド・ルイ・ドゥ | |||
収容人数 | 18,524 | |||
代表者 | (ドミトリー・リボロフレフ) | |||
監督 | フィリップ・クレマン | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
(■)テンプレート((■)ノート)■サッカークラブPJ |
フランスサッカーの1部リーグであるリーグ・アンに所属している。ホームスタジアムはスタッド・ルイ・ドゥ。
概要
1919年に創立し、1948年にプロのクラブチームとして認可された。1953年に1部昇格を果たして以来、レーニエ大公(当時)の打ち出した企業への税制優遇措置に乗る形で優秀な外国人選手を大量に加入させ、フランスリーグでも有数の強豪へとのし上がる。
通算リーグ優勝8回、カップ戦の優勝は5回を数える。さらにヨーロッパの舞台でも実績を残しており、UEFAカップウィナーズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグで、それぞれ1992年大会と2004年大会で準優勝を果たした。
また、欧州クラブ協会の会員でもある。2011年にはクラブの3分の2がロシアの大富豪(オリガルヒ)である、(ドミトリー・リボロフレフ)が率いる投資グループによって買収された[1]。
歴史
1910 - 1950年代
ASモナコFCは1919年8月1日にフランスとモナコ公国の5つのクラブ(Swimming Club、モナコ・スポール、ASボーソレイユ、エトワール・ドゥ・モナコ、ACリヴィエラ)が合併して公式に設立された[2]。合併したクラブの中の、モナコ・スポール(旧称エルクリス)は1904年に創設されたモナコの象徴的なクラブだった[2]。このASモナコFCは、1924年8月23日に総合スポーツ組織ASモナコへと吸収された[2]。1924-25シーズンに南東リーグにて最初の試合を行った[2]。
1948年にプロ化された[2]。1952-53シーズンのディヴィジョン・ドゥで2位となり[3]1953-54シーズンにトップリーグであるディヴィジョン・アンに初めて昇格した[2]。
1960 - 1970年代
1958年に監督に就任した(リュシアン・ルデュク)の下でモナコは躍進を遂げ、1960年にフランスカップの決勝でASサンテティエンヌを4-2で破り、初めての主要タイトルを獲得した[2]。1961年より、モナコ公妃グレース・ケリーの提案によって、斜めに白と赤を分割した有名なシャツを着用するようになった[2]。1960-61シーズン、モナコは初めてのリーグタイトルを獲得した[2]。1962-63シーズンにはリーグとカップのダブルを達成した[2]。しかし、1963年にルデュクが退任、そして優勝に貢献した主力選手たちもモナコから離れていくにつれチーム力が衰え、1969年に降格した[2]。
しばらくは昇格と降格を繰り返していたが[2]、1975年[4]に若くして会長に就任したジャン=ルイ・カンポラの下で、クラブの再構築が進んでいった[2]。1960年代に成功したリュシアン・ルデュクを再び監督に迎え、1977-78シーズンにディヴィジョン・アンに昇格すると、昇格1年目のシーズンに15年ぶりのリーグ優勝を果たした[5]。フランスサッカーの歴史において昇格1年目のクラブがリーグ優勝した例は、このシーズンのモナコのみである[6]。1973年から1980年まで7シーズン在籍したアルゼンチン人の点取り屋デリオ・オニスは223ゴールを挙げ、現在もクラブの最多得点記録者となっている[7]。GKジャン=リュック・エトリは、1975年からの17シーズンのキャリアのすべてをモナコで過ごし、クラブの最多出場記録(755試合)およびリーグ・アン全体での最多出場記録(602試合)を有する[7][8]。
1980 - 1990年代
1979年から1983年までの(ジェラール・バニド)の監督時代には、1979-80シーズンに17年ぶりのクープ・ドゥ・フランス優勝、1981-82シーズンに4度目のリーグ優勝を果たした。1985年1月25日、現在のスタッド・ルイ・ドゥが開場した[2]。
1987年から7シーズンのあいだチームの指揮を執ったアーセン・ベンゲルの時代には、グレン・ホドルとマーク・ヘイトリーのイングランド代表コンビを中心に、堅守速攻の近代的なサッカーで毎年優勝争いを繰り広げた。ベンゲルの下では国内(1987-88シーズンにリーグ優勝、1990-91シーズンにカップ優勝)だけにとどまらず、欧州の舞台でも成功を収め、1991-92シーズンにUEFAカップウィナーズカップで準優勝(ヴェルダー・ブレーメンが2-0で勝利)、1993-94シーズンにUEFAチャンピオンズリーグの準決勝に進出(優勝するACミランに敗退)した。[2]また若い世代の選手のスカウト・育成にも力を入れ、この頃に見出された選手にリリアン・テュラムらがいた。
その後ベンゲルの後を継いだジャン・ティガナ、そしてモナコの生え抜き選手だったクロード・ピュエルの時代も好調を維持した。ティガナ時代の1996-97シーズンは9シーズンぶりのリーグ優勝を果たし、UEFAカップでは準決勝でイタリアのインテルに敗れた[2]。1997-98シーズンのチャンピオンズリーグでは準決勝でユヴェントスFCに敗れた。この時代の主要な選手にはファビアン・バルテズ、エマニュエル・プティ、ティエリ・アンリ、ソニー・アンデルソンらがいた[2]。ピュエル時代の1999-2000シーズンには7つ目のリーグタイトルを獲得した。
2000年代前半
しかし1990年代末頃、それまでの放漫経営がたたって巨額の負債を抱え込み、好成績を収めながら2003-04シーズン開始直前には2部への強制降格を言い渡されるほど厳しい経営状況に追い込まれる(この時は各方面からの援助もあり、降格措置は免れた)。長年にわたってクラブの会長職にあったジャン=ルイ・カンポラは2003年6月に辞任した[9]。しかしこの2003-04シーズンはディディエ・デシャン監督の下、レアル・マドリード、チェルシーFCを破ってUEFAチャンピオンズリーグ決勝まで進出し、初のCLのタイトルを手にしかけるが、FCポルトに3-0で敗れて準優勝に終わった[2]。当時の主なメンバーは、パトリス・エヴラ、リュドヴィク・ジュリ、ジェローム・ロタン、フェルナンド・モリエンテス、ダド・プルショなどがいた[2]。
2003-04シーズン終了後、チームを支え続けてきたジュリら主力選手が他クラブへ次々に移籍。その代替要員として獲得した新戦力がなかなか戦術に馴染まず、徐々に弱体化した。
2000年代後半
2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ本戦出場権を賭けた試合でレアル・ベティスに苦杯を喫し、その後も上向かないチーム状態の責任を取る形でデシャン監督がシーズン途中に辞任した。後任のフランチェスコ・グイドリンも結果を残せず、僅か8ヶ月の在任に終わる。2006-07シーズンからはスタッド・レンヌの監督を務めていたルーマニア人、ラースロー・ベレニを招聘。全ポジションの積極的な補強も行ったが、10節を終えてわずか2勝と振るわずに在任5ヶ月で解任された。同年10月からはアシスタントコーチの(ローラン・バニド)が暫定的に指揮を執り、一時は最下位に沈んだクラブを9位にまで押し上げたものの、フロントとの不和もあってかシーズン終了後に解任された。
2007-08シーズンはFCジロンダン・ボルドーで堅守速攻のサッカーを展開して好成績を収めたリカルド・ゴメスが監督の座に就き、不振からの脱却を目指したが、またしても低迷。(ミシェル・パストール)会長とジェラール・ブリアンティ副会長が成績不振の責任を取って辞任するまでに至った。
2009-10シーズンからは前レンヌ監督のギー・ラコンブが監督に就任。捲土重来を期するも、中位を彷徨うシーズンがまたしても再現された。2010-11シーズンもラコンブが引き続いて指揮を執るが、前シーズン活躍を見せたネネを放出したことにより攻撃力が低下。守備ユニットの構築にも誤算が相次ぎ、勝ちきれないゲームを積み重ねた結果、降格圏にまで落ち込んでしまう。フロントはウィンターブレイク中のフランスカップで5部リーグのチームに敗北を喫した責任を取らせる形でラコンブ監督を解任し、前回の緊急登板でチームを上昇気流に乗せたローラン・バニドを4年ぶりに招聘。レアル・マドリードで出番を失っていたマアマドゥ・ディアッラを始めとして大量補強に踏み切るも、低迷からは抜け出せず18位に終わりリーグ・ドゥへ降格となった。
2010年代
2011-12シーズンは開幕から低迷し、シーズン途中まで最下位に沈んでいた。2011年12月、ロシアの実業家(ドミトリー・リボロフレフ)が株式3分の2を取得し、筆頭株主となったことを発表。4年間で1億ユーロの投資をするとの宣言通り、冬の移籍市場では早速1500万ユーロを投じ、人員補強を行った。しかしリーグ・アン昇格圏内の3位以内には程遠く8位に終わった。
2012-13シーズンはリーグ・ドゥの首位で昇格した。シーズン終了後、ラダメル・ファルカオ、ハメス・ロドリゲス、ジョアン・モウティーニョ、リカルド・カルバーリョ、ジェレミー・トゥララン、エリック・アビダルといった実力者を獲得している。2014-15シーズンは中心選手のラダメル・ファルカオ、ハメス・ロドリゲスがW杯後に移籍し、トマ・レマル、ティエムエ・バカヨコといった有望な若手選手を獲得して若手育成に力を入れた。2015-16シーズンはアントニー・マルシャルがマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、アイメン・アブデヌールがバレンシアCFに移籍した。
2016-17シーズンはカミル・グリクらを獲得し、ファルカオが復帰した。チャンピオンズリーグで予選3回戦から決勝トーナメントに進出。準々決勝ではボルシア・ドルトムントと対戦して2戦合計6-3で勝利。これにより大会史上初めて予選から勝ち上がったチームが準決勝に進出した。リーグ戦では2017年5月17日のASサンテティエンヌ戦で2-0で勝利して、リーグ4連覇中のパリ・サンジェルマンFCを2位に抑えて17年ぶりの優勝を果たした。
2017-18シーズン、昨年までの主力であったナビル・ディラル、ベルナルド・シウバ、バンジャマン・メンディ、ティエムエ・バカヨコ、ヴァレール・ジェルマン、キリアン・エムバペが退団。一方でユーリ・ティーレマンス、ディエゴ・ベナリオ、ラシド・ゲザル、ステファン・ヨヴェティッチ、ケイタ・バルデ・ディアオらを獲得した。
2018-19シーズン、夏の移籍期間ではロシアW杯で活躍したアレクサンドル・ゴロビンをCSKAモスクワから、そのほかにも、ウィレム・ジュベル、ベンヤミン・ヘンリヒス、ジャン=ユード・アフル、ベルギー代表MFナセル・シャドリらを獲得。リーグ戦では、初戦のFCナント戦では勝利を収めるも、その後は14節まで勝ち星なしという結果になり、この時点でリーグ順位は19位と降格圏内だった。10月には近年の躍進の立役者であるレオナルド・ジャルデム監督を解任。
後任には監督未経験の元フランス代表ティエリ・アンリが就任した。冬の移籍市場ではリザーブチームからブノワ・バジアシーレを昇格させ、レスターからアドリエン・シウバをレンタルで獲得、他にも、セスク・ファブレガス、カルロス・ヴィニシウス、ジェルソン・マルティンスらを獲得したが、チームの調子は変わらず、アンリ体制は3ヶ月で終わった。また、その後、再度ジャルデム監督が就任し、17位で降格を免れた。
2020年代
2021-22シーズン、チャンピオンズリーグでプレーオフまで進んだが敗退し、6シーズンぶりにUEFAヨーロッパリーグに出場したが、ベスト16で敗退した。
ライバル関係
近郊チームとのダービーマッチとしては、コートダジュール地方にホームを構えるOGCニースとの「コートダジュール・ダービー」や、フランス南東沿岸にホームを構えるオリンピック・マルセイユとの「南仏ダービー」があるが、小国で観光立国でもあるモナコにはサッカーに対する熱心なファンが少ないため、ホームで開催するダービーであってもアウェイの熱狂的なサポーターに占拠される奇妙な光景を目にすることが出来る。
ユニフォーム
ホームゲーム用シャツは、赤と白を基調に、赤白の境界が右肩から左腰へ斜めに入った特徴的なデザインとなっている。
創設当初はチームカラーがなく、他のクラブが使っていない色を中心に毎年替えていた。その後1950年代に赤白のストライプ模様を採用し、チームカラーがほぼ固定された。このストライプ時代の1960年にクラブ初のタイトルとなるフランスカップを獲得している。
現在も使用されている斜め模様は、モナコ公国妃(当時)グレース・ケリーによってデザインされたもの。採用された1960-61シーズンにクラブ初のリーグ制覇を成し遂げたという縁起の良いユニフォームである。
タイトル
国内タイトル
- リーグ・アン (ディヴィジョン・アン) : 8回
- 1960-61, 1962-63, 1977-78, 1981-82, 1987-88, 1996-97, 1999-00, 2016-17
- リーグ・ドゥ (ディヴィジョン・ドゥ) : 1回
- 2012-13
- クープ・ドゥ・フランス : 5回
- 1959-60, 1962-63, 1979-80, 1984-85, 1990-91
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ : 1回
- 2002-03
- トロフェ・デ・シャンピオン : 4回
- 1961, 1985, 1997, 2000
- クープ・シャルル・ドラゴ : 1回
- 1961
国際タイトル
- (コッパ・デッレ・アルピ) : 3回
- 1979, 1983, 1984
過去の成績
シーズン | ディビジョン | クープ・ドゥ フランス | クープ・ドゥ ラ・リーグ | トロフェ・デ シャンピオン | 欧州カップ | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||||||
1986-87 | ディヴィジョン・アン | 38 | 15 | 15 | 8 | 41 | 33 | 45 | 5位 | ベスト16 | — | — | — | |
1987-88 | ディヴィジョン・アン | 38 | 20 | 12 | 6 | 53 | 29 | 52 | 1位 | ベスト32 | — | — | — | |
1988-89 | ディヴィジョン・アン | 38 | 18 | 14 | 6 | 62 | 38 | 68 | 3位 | 準優勝 | — | チャンピオンズカップ | 準々決勝敗退 | |
1989-90 | ディヴィジョン・アン | 38 | 15 | 16 | 7 | 38 | 24 | 46 | 3位 | ベスト64 | — | カップウィナーズカップ | 準決勝敗退 | |
1990-91 | ディヴィジョン・アン | 38 | 20 | 11 | 7 | 51 | 30 | 51 | 2位 | 優勝 | — | UEFAカップ | ベスト16 | |
1991-92 | ディヴィジョン・アン | 38 | 22 | 8 | 8 | 55 | 33 | 52 | 2位 | — | カップウィナーズカップ | 準優勝 | ||
1992-93 | ディヴィジョン・アン | 38 | 21 | 9 | 8 | 56 | 29 | 51 | 3位 | ベスト16 | — | カップウィナーズカップ | ベスト16 | |
1993-94 | ディヴィジョン・アン | 38 | 14 | 13 | 11 | 52 | 36 | 41 | 9位 | ベスト16 | — | チャンピオンズリーグ | 準決勝敗退 | |
1994-95 | ディヴィジョン・アン | 38 | 15 | 12 | 11 | 60 | 39 | 57 | 6位 | ベスト32 | 準々決勝敗退 | — | — | — |
1995-96 | ディヴィジョン・アン | 38 | 19 | 11 | 8 | 64 | 39 | 68 | 3位 | ベスト16 | 準々決勝敗退 | — | UEFAカップ | 1回戦敗退 |
1996-97 | ディヴィジョン・アン | 38 | 23 | 10 | 5 | 69 | 30 | 79 | 1位 | ベスト64 | 準決勝敗退 | — | UEFAカップ | 準決勝敗退 |
1997-98 | ディヴィジョン・アン | 34 | 18 | 5 | 11 | 51 | 33 | 59 | 3位 | 準々決勝敗退 | ベスト32 | 優勝 | チャンピオンズリーグ | 準決勝敗退 |
1998-99 | ディヴィジョン・アン | 34 | 18 | 8 | 8 | 52 | 32 | 62 | 4位 | ベスト64 | ベスト16 | — | UEFAカップ | ベスト16 |
1999-00 | ディヴィジョン・アン | 34 | 20 | 5 | 9 | 69 | 38 | 65 | 1位 | 準決勝敗退 | ベスト16 | — | UEFAカップ | ベスト16 |
2000-01 | ディヴィジョン・アン | 34 | 12 | 7 | 15 | 53 | 50 | 43 | 11位 | ベスト64 | 準優勝 | 優勝 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 |
2001-02 | ディヴィジョン・アン | 34 | 9 | 12 | 13 | 36 | 41 | 39 | 15位 | 準々決勝敗退 | 準々決勝敗退 | — | — | — |
2002-03 | リーグ・アン | 38 | 19 | 10 | 9 | 66 | 33 | 67 | 2位 | ベスト64 | 優勝 | — | — | — |
2003-04 | リーグ・アン | 38 | 21 | 12 | 5 | 59 | 30 | 75 | 3位 | 準々決勝敗退 | ベスト16 | — | チャンピオンズリーグ | 準優勝 |
2004-05 | リーグ・アン | 38 | 15 | 18 | 5 | 52 | 35 | 63 | 3位 | 準決勝敗退 | 準決勝敗退 | — | チャンピオンズリーグ | ベスト16 |
2005-06 | リーグ・アン | 38 | 13 | 13 | 12 | 42 | 36 | 52 | 10位 | ベスト32 | 準決勝敗退 | — | UEFAカップ | ベスト32 |
2006-07 | リーグ・アン | 38 | 13 | 12 | 13 | 45 | 38 | 51 | 9位 | ベスト16 | ベスト16 | — | — | — |
2007-08 | リーグ・アン | 38 | 13 | 8 | 17 | 40 | 48 | 47 | 12位 | ベスト32 | ベスト16 | — | — | — |
2008-09 | リーグ・アン | 38 | 11 | 12 | 15 | 41 | 45 | 45 | 11位 | 準々決勝敗退 | 3回戦敗退 | — | — | — |
2009-10 | リーグ・アン | 38 | 15 | 10 | 13 | 39 | 45 | 55 | 8位 | 準優勝 | 3回戦敗退 | — | — | — |
2010-11 | リーグ・アン | 38 | 9 | 17 | 12 | 36 | 40 | 44 | 18位 | ベスト64 | 準々決勝敗退 | — | — | — |
2011-12 | リーグ・ドゥ | 38 | 13 | 13 | 12 | 41 | 48 | 52 | 8位 | ベスト64 | 1回戦敗退 | — | — | — |
2012-13 | リーグ・ドゥ | 38 | 21 | 13 | 4 | 64 | 33 | 76 | 1位 | 7回戦敗退 | ベスト16 | — | — | — |
2013-14 | リーグ・アン | 38 | 23 | 11 | 4 | 64 | 31 | 80 | 2位 | 準決勝敗退 | 3回戦敗退 | — | — | — |
2014-15 | リーグ・アン | 38 | 20 | 11 | 7 | 51 | 26 | 71 | 3位 | 準々決勝敗退 | 準決勝敗退 | — | チャンピオンズリーグ | 準々決勝敗退 |
2015-16 | リーグ・アン | 38 | 17 | 14 | 7 | 57 | 50 | 65 | 3位 | ベスト16 | ベスト16 | — | チャンピオンズリーグ | プレーオフ敗退 |
ヨーロッパリーグ | GS敗退 | |||||||||||||
2016-17 | リーグ・アン | 38 | 30 | 5 | 3 | 107 | 31 | 95 | 1位 | 準決勝敗退 | 準優勝 | — | チャンピオンズリーグ | 準決勝敗退 |
2017-18 | リーグ・アン | 38 | 24 | 8 | 6 | 85 | 45 | 80 | 2位 | ベスト32 | 準優勝 | 準優勝 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 |
2018-19 | リーグ・アン | 38 | 8 | 12 | 18 | 38 | 57 | 36 | 17位 | ベスト32 | 準決勝敗退 | 準優勝 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 |
2019-20 | リーグ・アン | 28 | 11 | 7 | 10 | 44 | 44 | 40 | 9位 | ベスト16 | ベスト16 | — | — | — |
2020-21 | リーグ・アン | 38 | 24 | 6 | 8 | 76 | 42 | 78 | 3位 | 準優勝 | — | — | — | — |
2021-22 | リーグ・アン | 38 | 20 | 9 | 9 | 65 | 40 | 69 | 3位 | 準決勝敗退 | — | ─ | チャンピオンズリーグ | プレーオフ敗退 |
ヨーロッパリーグ | ベスト16 | |||||||||||||
2022-23 | リーグ・アン | 38 | 位 | ─ | ─ | チャンピオンズリーグ | 予選3回戦敗退 | |||||||
ヨーロッパリーグ | 決勝プレーオフ |
欧州の成績
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1961-62 | UEFAチャンピオンズカップ | 予選 | レンジャーズ | 2-3 | 2-3 | 4-6 | |
1963-64 | UEFAチャンピオンズカップ | 予備戦 | AEKアテネ | 7-2 | 1-1 | 8-3 | |
1回戦 | インテル | 1-3 | 0-1 | 1-4 | |||
1974-75 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | アイントラハト・フランクフルト | 2-2 | 0-3 | 2-5 | |
1978-79 | UEFAチャンピオンズカップ | 予備予選 | ステアウア・ブカレスト | 3-0 | 0-2 | 3-2 | |
1回戦 | マルメFF | 0-1 | 0-0 | 0-1 | |||
1979-80 | UEFAカップ | 1回戦 | シャフタール・ドネツク | 2-0 | 1-2 | 3-2 | |
2回戦 | ロコモティフ・ソフィア | 2-1 | 2-4 | 4-5 | |||
1980-81 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | バレンシア | 3-3 | 0-2 | 3-5 | |
1981-82 | UEFAカップ | 1回戦 | ダンディー・ユナイテッド | 2-5 | 2-1 | 4-6 | |
1982-83 | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦 | CSKAソフィア | 0-0 | 0-2 (a.e.t.) | 0-2 | |
1984-85 | UEFAカップ | 1回戦 | CSKAソフィア | 2-2 | 1-2 | 3-4 | |
1985-86 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | CSウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ | 2-0 | 0-3 | 2-3 | |
1988-89 | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦 | ヴァルル・レイキャヴィーク | 2-0 | 0-1 | 2-1 | |
2回戦 | クラブ・ブルッヘ | 6-1 | 0-1 | 6-2 | |||
準々決勝 | ガラタサライ | 0-1 | 1-1 | 1-2 | |||
1989-90 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | ベレネンセス | 3-0 | 1-1 | 4-1 | |
2回戦 | ベルリナー・ディナモ | 0-0 | 1-1 | 1-1 (a) | |||
準々決勝 | レアル・バリャドリード | 0-0 | 0-0 | 0-0 (3-1 p) | |||
準決勝 | サンプドリア | 2-2 | 0-2 | 2-4 | |||
1990-91 | UEFAカップ | 1回戦 | ローダJC | 3-1 | 3-1 | 6-2 | |
2回戦 | チョルノモレツ・オデッサ | 1-0 | 0-0 | 1-0 | |||
3回戦 | トルペド・モスクワ | 1-2 | 1-2 | 2-4 | |||
1991-92 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | スウォンジー・シティ | 8-0 | 2-1 | 10-1 | |
2回戦 | IFKノルシェーピン | 1-0 | 2-1 | 3-1 | |||
準々決勝 | ローマ | 1-0 | 0-0 | 1-0 | |||
準決勝 | フェイエノールト | 1-1 | 2-2 | 3-3 (a) | |||
(決勝) | ヴェルダー・ブレーメン | 0-2 | |||||
1992-93 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | ミエジュ・レグニツァ | 0-0 | 1-0 | 1-0 | |
2回戦 | オリンピアコス | 0-1 | 0-0 | 0-1 | |||
1993-94 | UEFAチャンピオンズリーグ | 1回戦 | AEKアテネ | 1-0 | 1-1 | 2-1 | |
2回戦 | ステアウア・ブカレスト | 4-1 | 0-1 | 4-2 | |||
グループA | スパルタク・モスクワ | 4-1 | 0-0 | 2位 | |||
バルセロナ | 0-1 | 0-2 | |||||
ガラタサライ | 3-0 | 2-0 | |||||
準決勝 | ミラン | 0-3 | |||||
1995-96 | UEFAカップ | 1回戦 | リーズ・ユナイテッド | 0-3 | 1-0 | 1-3 | |
1996-97 | UEFAカップ | 1回戦 | (フトニク・クラクフ) | 3-1 | 1-0 | 4-1 | |
2回戦 | ボルシアMG | 0-1 | 4-2 | 4-3 | |||
3回戦 | ハンブルガー | 3-0 | 2-0 | 5-0 | |||
準々決勝 | ニューカッスル・ユナイテッド | 3-0 | 1-0 | 4-0 | |||
準決勝 | インテル | 1-0 | 1-3 | 2-3 | |||
1997-98 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループF | スポルティングCP | 3-2 | 0-3 | 1位 | |
バイエル・レバークーゼン | 4-0 | 2-2 | |||||
リールセSK | 5-1 | 1-0 | |||||
準々決勝 | マンチェスター・ユナイテッド | 0-0 | 1-1 | 1-1 (a) | |||
準決勝 | ユヴェントス | 3-2 | 1-4 | 4-6 | |||
1998-99 | UEFAカップ | 1回戦 | ŁKSウッチ | 0-0 | 3-1 | 3-1 | |
2回戦 | グラーツァーAK | 4-0 | 3-3 | 7-3 | |||
3回戦 | マルセイユ | 2-2 | 0-1 | 2-3 | |||
1999-00 | UEFAカップ | 1回戦 | セント・ジョンストン | 3-0 | 3-3 | 6-3 | |
2回戦 | ヴィジェフ・ウッチ | 2-0 | 1-1 | 3-1 | |||
3回戦 | AEKアテネ | 1-0 | 2-2 | 3-2 | |||
4回戦 | マヨルカ | 1-0 | 1-4 | 2-4 | |||
2000-01 | UEFAチャンピオンズリーグ | 1次グループD | ガラタサライ | 4-2 | 2-3 | 4位 | |
レンジャーズ | 0-1 | 2-2 | |||||
シュトゥルム・グラーツ | 5-0 | 0-2 | |||||
2003-04 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループC | PSV | 1-1 | 2-1 | 1位 | |
AEKアテネ | 4-0 | 0-0 | |||||
デポルティーボ | 8-3 | 0-1 | |||||
1回戦 | ロコモティフ・モスクワ | 1-0 | 1-2 | 2-2 (a) | |||
準々決勝 | レアル・マドリード | 3-1 | 2-4 | 5-5 (a) | |||
準決勝 | チェルシー | 3-1 | 2-2 | 5-3 | |||
決勝 | ポルト | 0-3 | |||||
2004-05 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | ゴリツァ | 6-0 | 3-0 | 9-0 | |
グループA | リヴァプール | 1-0 | 0-2 | 1位 | |||
デポルティーボ | 2-0 | 5-0 | |||||
オリンピアコス | 2-1 | 0-1 | |||||
1回戦 | PSV | 0-2 | 0-1 | 0-3 | |||
2005-06 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | レアル・ベティス | 2-2 | 0-1 | 2-3 | |
UEFAカップ | 1回戦 | ヴィレムII | 2-0 | 3-1 | 5-1 | ||
グループA | バイキング | N/A | 0-1 | 1位 | |||
ハンブルガー | 2-0 | N/A | |||||
スラヴィア・プラハ | N/A | 2-0 | |||||
CSKAソフィア | 2-1 | N/A | |||||
ラウンド32 | バーゼル | 1-1 | 0-1 | 1-2 | |||
2014-15 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループC | バイエル・レバークーゼン | 1-0 | 1-0 | 1位 | |
ゼニト | 2-0 | 0-0 | |||||
ベンフィカ | 0-0 | 0-1 | |||||
ラウンド16 | アーセナル | 0-2 | 3-1 | 3-3 (a) | |||
準々決勝 | ユヴェントス | 0-0 | 0-1 | 0-1 | |||
2015-16 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | ヤングボーイズ | 4-0 | 3-1 | 7-1 | |
プレーオフ | バレンシア | 2-1 | 1-3 | 3-4 | |||
UEFAヨーロッパリーグ | グループH | トッテナム | 1-1 | 1-4 | 3位 | ||
アンデルレヒト | 0-2 | 1-1 | |||||
カラバフ | 1-0 | 1-1 | |||||
2016-17 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | フェネルバフチェ | 3-1 | 1-2 | 4-3 | |
プレーオフ | ビジャレアル | 1-0 | 2-1 | 3-1 | |||
グループE | CSKAモスクワ | 3-0 | 1-1 | 1位 | |||
バイエル・レバークーゼン | 1-1 | 0-3 | |||||
トッテナム | 2-1 | 2-1 | |||||
ラウンド16 | マンチェスター・シティ | 3-1 | 3-5 | 6-6 (a) | |||
準々決勝 | ボルシア・ドルトムント | 3-1 | 3-2 | 6-3 | |||
準決勝 | ユヴェントス | 0-2 | 1-2 | 1-4 | |||
2017-18 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループG | ライプツィヒ | 1-4 | 1-1 | 4位 | |
ポルト | 0-3 | 2-5 | |||||
ベシクタシュ | 1-2 | 1-1 | |||||
2018-19 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループA | アトレティコ・マドリード | 1-2 | 0-2 | 4位 | |
ボルシア・ドルトムント | 0-2 | 0-3 | |||||
クラブ・ブルッヘ | 0-4 | 1-1 | |||||
2021-22 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | スパルタ・プラハ | 3-1 | 2-0 | 5-1 | |
プレーオフ | シャフタール・ドネツク | 0-1 | 2-2 (a.e.t.) | 2-3 | |||
UEFAヨーロッパリーグ | グループB | PSV | 0-0 | 2-1 | 1位 | ||
レアル・ソシエダ | 2-1 | 1-1 | |||||
シュトゥルム・グラーツ | 1-0 | 1-1 | |||||
ラウンド16 | ブラガ | 1-1 | 0-2 | 1-3 | |||
2022-23 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | PSV | 1-1 | 2-3 (a.e.t.) | 3-4 | |
UEFAヨーロッパリーグ | グループH | ツルヴェナ・ズヴェズダ | 4-1 | 1-0 | 2位 | ||
フェレンツヴァーロシュ | 0-1 | 1-1 | |||||
トラブゾンスポル | 3-1 | 0-4 | |||||
決勝プレーオフ | バイエル・レバークーゼン | 2/23 | 2/16 |
現所属メンバー
- 2019-20シーズン フォーメーション
- 2023年1月31日現在[10]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
歴代監督
名前 | 年 | 獲得タイトル |
---|---|---|
(ジャン・バトマル) | 1948-1950 | |
(エレク・シュワルツ) | 1950-1952 | |
(アンジェロ・グリゼッティ) | 1952-1953 | |
(ルイ・デュパル) | 1953-1956 | |
(トニー・マレク) | 1956-1957 | |
(ルイ・ピローニ) | 1958 | |
(リュシアン・ルデュク) | 1958-1963 | 1961・1963リーグ、1960・1963カップ、1961ドラゴ、1961スーパーカップ |
(クリストワ・ロジェ) | 1963-1965 | |
(ルイ・ピローニ) | 1965-1966 | |
(ピエール・シニバルディ) | 1966-1968 | |
(ルイ・ピローニ) | 1969 | |
(ロベール・ドメルグ) | 1969-1970 | |
(ジャン・ルシアノ) | 1970-1972 | |
(ルベン・ノルベルト・ブラボ) | 1972-1974 | |
(アルベルト・ムロ) | 1974-1975 | |
(アルマン・フォルシェリオ) | 1976 | |
リュシアン・ルデュク | 1977-1979 | 1978リーグ |
(ジェラール・バニド) | 1979-1983 | 1980カップ、1982リーグ |
ステファン・コヴァチ | 1986-1987 | |
ルシアン・ミュラー | 1983-1986 | 1985カップ、1985スーパーカップ |
アーセン・ベンゲル | 1987-1994 | 1988リーグ、1991カップ |
ジャン・プティ | 1994 | |
ジャン=リュック・エトリ | 1994-1995 | |
ジェラール・バニド | 1995 | |
ジャン・ティガナ | 1995-1999 | 1997リーグ、1997スーパーカップ |
クロード・ピュエル | 1999-2001 | 2000リーグ、2000スーパーカップ |
ディディエ・デシャン | 2001-2005 | 2003リーグカップ |
ジャン・プティ | 2005 | |
フランチェスコ・グイドリン | 2005-2006 | |
ラースロー・ベレニ | 2006 | |
(ローラン・バニド) | 2006-2007 | |
リカルド・ゴメス | 2007-2009 | |
ギー・ラコンブ | 2009-2011 | |
ローラン・バニド | 2011 | |
マルコ・シモーネ | 2011-2012 | |
クラウディオ・ラニエリ | 2012-2014 | 2012-13リーグ・ドゥ |
レオナルド・ジャルディム | 2014-2018 | 2016-17リーグ・アン |
ティエリ・アンリ | 2018-2019 | |
レオナルド・ジャルディム | 2019 | |
ロベルト・モレノ・ゴンサレス | 2019-2020 | |
ニコ・コヴァチ | 2020-2021 | |
フィリップ・クレマン | 2022- |
2010年までの歴代監督出典:[7]
歴代所属選手
GK
DF
- マニュエル・アモロス
- パトリック・バチストン
- イヴォン・ル・ルー
- ヨン・シヴェベーク
- バジール・ボリ
- リリアン・テュラム
- ダリオ・シミッチ
- パトリック・ミュラー
- ウィリー・サニョル
- ヨン・アルネ・リーセ
- パブロ・コントレラス
- ラファエル・マルケス
- エリック・アビダル
- セバスティアン・スキラシ
- パトリス・エヴラ
- マイコン
- アイメン・アブデヌール
- ファビオ・コエントラン
- ワラシ
- リカルド・カルヴァーリョ
- マルセル・ティセラン
- バンジャマン・メンディ
MF
- ベルナール・ジャンジニ (1983-86)
- ダニエル・ブラヴォ (1983-87)
- グレン・ホドル (1987-91)
- エマニュエル・プティ (1988-97)
- フランク・ソゼー (1990-91)
- ユーリ・ジョルカエフ (1990-95)
- ルイ・バロス (1990-93)
- エンツォ・シーフォ (1993-97)
- ジョン・コリンズ (1996-98)
- マルセロ・ガジャルド (1999-03)
- ヤロスラフ・プラシル
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ (2001-03)
- ディエゴ・ペレス
- ジェレミー・メネス
- アレクサンドロス・ツィオリス
- ヤコブ・ポウルセン
- ハメス・ロドリゲス
- ジョアン・モウティーニョ
- マリオ・パシャリッチ
- ジェレミー・トゥララン
- デルヴィン・エンディンガ
- ナビル・ディラル
- ベルナルド・シウバ
- ティエムエ・バカヨコ
FW
- デリオ・オニス
- ロジェ・ミラ
- ラルフ・エドストレーム
- ブルーノ・ベロン
- ジョージ・ウェア
- ラモン・ディアス
- ユルゲン・クリンスマン
- ヴィクトル・イクペバ
- ティエリ・アンリ
- ダヴィド・トレゼゲ
- マルコ・シモーネ
- ダド・プルショ
- シャバニ・ノンダ
- スレイマン・カマラ
- オリバー・ビアホフ
- フェルナンド・モリエンテス
- エマヌエル・アデバヨール
- ハビエル・サビオラ
- モハメド・カロン
- ハビエル・チェバントン
- クリスティアン・ヴィエリ
- ヤン・コレル
- エイドゥル・グジョンセン
- パク・チュヨン
- ラダメル・ファルカオ
- ディミタール・ベルバトフ
- エドガル・サリ
- ヴァグネル・ラヴ
- イヴァン・カヴァレイロ
- {"@context":"http:\/\/schema.org","@type":"Article","dateCreated":"2023-05-27T15:06:44+00:00","datePublished":"2023-05-27T15:06:44+00:00","dateModified":"2023-05-27T15:06:44+00:00","headline":"ASモナコ","name":"ASモナコ","keywords":[],"url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/ASモナコFC.html","description":"ASモナコ この項目では 男子チームについて説明しています 女子チームについては FF フランス語版 を スポーツクラブについては スポーツクラブ をご覧ください サッカーモナコ代表 とは異なります アソシアシオン スポルティヴ ドゥ モナコ フトボル クルブ フランス語 Association Sportive de Monaco Football Club は モナコを本拠地とするサッカークラブである 通称 AS Monaco フランス語発音 ɑ ɛs mɔnako またはモナコ Monaco FC原語表記Association Sportivede Monaco Football Club愛称Les Rouge et Blan","copyrightYear":"2023","articleSection":"ウィキペディア","articleBody":"この項目では 男子チームについて説明しています 女子チームについては ASモナコFF フランス語版 を スポーツクラブについては ASモナコ スポーツクラブ をご覧ください サッカーモナコ代表 とは異なります アソシアシオン スポルティヴ ドゥ モナコ フトボル クルブ フランス語 Association Sportive de Monaco Football Club は モナコを本拠地とするサ","publisher":{ "@id":"#Publisher", "@type":"Organization", "name":"www.wiki2.ja-jp.nina.az", "logo":{ "@type":"ImageObject", "url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/assets\/logo.svg" },"sameAs":[]}, "sourceOrganization":{"@id":"#Publisher"}, "copyrightHolder":{"@id":"#Publisher"}, "mainEntityOfPage":{"@type":"WebPage","@id":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/ASモナコFC.html","breadcrumb":{"@id":"#Breadcrumb"}}, "author":{"@type":"Person","name":"www.wiki2.ja-jp.nina.az","url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az"}, "image":{"@type":"ImageObject","url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/assets\/images\/wiki\/4.jpg","width":1000,"height":800}}