1999年の日本ハムファイターズ(1999ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1999年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
1999年の日本ハムファイターズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ5位 | |
60勝73敗2分 勝率.451[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 東京ドーム |
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球団組織 | |
オーナー | 大社義規 |
経営母体 | 日本ハム |
監督 | 上田利治 |
« 1998 2000 » |
この年の日本ハムファイターズは、上田利治監督の5年目のシーズンである。
概要
上田監督5年目のチームは、今年こそ優勝するべく退団したジェリー・ブルックスに代わってマイカ・フランクリンを獲得。ナイジェル・ウィルソンが4月以降ケガで離脱すると、その穴埋めとしてシャーマン・オバンドーが加入するなど外国人が打線の中心になったチームは、5月までダイエーとゲーム差なしの2位にとどまり、このままいけば優勝かと思われた。しかし、前年Aクラスの原動力で開幕投手も務めた岩本勉(この年岩本ツトム)や関根裕之は自己最多の勝利を記録したが、今関勝が不振に苦しみ金村暁、エリック・シュールストロムが怪我で戦線離脱するなど、不振者及び故障者が続出。打線ではこの年一塁のポジションを獲得した小笠原道大の台頭があったもののそれ以外の選手は好不調の波が激しく、6月には最下位に転落。8月以降は同じく投壊の近鉄を抜いて5位に上がるものの、26年ぶり優勝のダイエーやAクラス常連の西武に水をあけられ、結局2年ぶりのBクラスに終わった。シーズン終了後、毎年のように優勝を期待されながらも失速した責任を取って上田監督は勇退。後任には1994年まで日本ハムに在籍していた大島康徳が監督として6年ぶりにチームに復帰することになった。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 近鉄 | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- |
2位 | ダイエー | 0.5 | 日本ハム | 0.0 | ロッテ | 2.5 | 西武 | 4.5 | 西武 | 4.5 | 西武 | 4.0 |
3位 | 日本ハム | 1.0 | ロッテ | 1.5 | 西武 | 6.5 | ロッテ | 7.0 | オリックス | 11.0 | オリックス | 10.5 |
4位 | ロッテ | 1.5 | 西武 | オリックス | 6.5 | オリックス | 6.5 | ロッテ | 12.0 | ロッテ | 15.5 | |
5位 | 西武 | 3.0 | 近鉄 | 2.5 | 近鉄 | 8.0 | 近鉄 | 8.0 | 日本ハム | 14.5 | 日本ハム | 18.5 |
6位 | オリックス | オリックス | 3.5 | 日本ハム | 9.5 | 日本ハム | 13.0 | 近鉄 | 17.5 | 近鉄 | 23.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 福岡ダイエーホークス | 78 | 54 | 3 | .591 | --- |
2位 | 西武ライオンズ | 75 | 59 | 1 | .560 | 4.0 |
3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 68 | 65 | 2 | .511 | 10.5 |
4位 | 千葉ロッテマリーンズ | 63 | 70 | 2 | .474 | 15.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 60 | 73 | 2 | .451 | 18.5 |
6位 | 大阪近鉄バファローズ | 54 | 77 | 4 | .412 | 23.5 |
オールスターゲーム1999
詳細は「1999年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ドラフト
詳細は「1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照