1995年の広島東洋カープ(1995ねんのひろしまとうようカープ)では、1995年における広島東洋カープの動向をまとめる。
1995年の広島東洋カープ | |
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成績 | |
セントラルリーグ2位 | |
74勝56敗1分 勝率.569[1] | |
本拠地 | |
都市 | 広島県広島市 |
球場 | 広島市民球場 |
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球団組織 | |
オーナー | 松田耕平 |
経営母体 | 松田家(マツダ創業者一族) |
監督 | 三村敏之 |
(選手会長) | 正田耕三 |
キャッチフレーズ | |
TOTAL BASEBALL 2 FORWARD EVER (前進あるのみ) | |
« 1994 1996 » |
この年の広島東洋カープは、三村敏之監督の2年目のシーズンである。
概要
序盤は勝ったり負けたりの一進一退、また5月23日のヤクルト戦で前田智徳がアキレス腱断裂で離脱するというアクシデントが発生。前年16勝をマークした紀藤真琴は右肘痛で一時離脱し、開幕投手を務めた佐々岡真司が不調の大野豊と配置転換する形で抑えに回るというゴタゴタに見舞われたが、カープアカデミー出身のロビンソン・チェコと前年ドラフト1位で入団した山内泰幸の活躍や、緒方孝市が前田の穴を埋める形でセンターのレギュラーに定着するなど投打とともにチームは好調で、6月からは連勝で貯金を増やし8月には首位ヤクルトに1ゲーム差まで迫った。しかし主力選手に故障者が続出した9月以降10勝11敗と失速、巨人の追撃もあり一時期3位に後退した事もあったが最終的には貯金18の2位[2]でシーズンを終えた。個人記録では野村謙二郎がトリプルスリーを達成、江藤智は本塁打王と打点王の2冠に輝き、緒方は規定打席未到達ながら自身初の盗塁王を獲得した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- |
2位 | 広島 | 4.0 | 広島 | 5.5 | 広島 | 5.5 | 広島 | 3.5 | 広島 | 6.0 | 広島 | 8.0 |
3位 | 巨人 | 4.5 | 巨人 | 巨人 | 7.5 | 横浜 | 8.5 | 巨人 | 10.5 | 巨人 | 10.0 | |
4位 | 横浜 | 横浜 | 横浜 | 8.0 | 巨人 | 8.5 | 横浜 | 12.5 | 横浜 | 16.0 | ||
5位 | 中日 | 6.0 | 阪神 | 10.5 | 阪神 | 13.0 | 阪神 | 21.0 | 阪神 | 30.0 | 中日 | 32.0 |
6位 | 阪神 | 8.0 | 中日 | 12.0 | 中日 | 17.0 | 中日 | 24.5 | 中日 | 31.0 | 阪神 | 36.0 |
オールスターゲーム1995
詳細は「1995年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票による選出
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
詳細は「1995年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照