1988年のロッテオリオンズでは、1988年シーズンのロッテオリオンズの動向をまとめる。
1988年のロッテオリオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 | |
54勝74敗2分 勝率.422[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県川崎市 |
球場 | 川崎球場 |
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球団組織 | |
オーナー | 重光武雄 |
経営母体 | ロッテ |
監督 | 有藤道世 |
« 1987 1989 » |
この年のロッテオリオンズは、有藤道世監督の2年目のシーズンである。また「10.19」として知られる近鉄バファローズの優勝を阻止したダブルヘッダーが起こったシーズンである。
概要
新外国人ビル・マドロックを4番指名打者に据え、4月は10勝7敗と順調に滑り出したが、5月以降は負け越しが続く苦しいシーズンとなった。 投手陣は荘勝雄(13勝14敗、防御率4.12)、園川一美(10勝15敗、防御率4.34)、小川博(10勝9敗、防御率3.40)、村田兆治(10勝7敗、防御率3.89)の先発4本柱が2桁勝利を上げ、移籍2年目の守護神牛島和彦(1勝6敗25セーブ、防御率4.47)も前年より防御率悪化してやや不安定だが2桁セーブを上げた。一方で、チーム防御率4.38はリーグワーストで守り勝つチームとは言い難かった。 打撃陣は、マドロックが期待した程の打棒を見せず、9月以降は6番に降格となった。右翼手高沢秀昭(打率.327、14本塁打、64打点)が首位打者、三塁手西村徳文(打率.256、3本塁打、38打点)が盗塁王獲得と、個々の選手の能力は高かったが、狭い川崎球場を本拠地にしてのチーム100本塁打はリーグワーストであり、長打力不足は如何ともし難いものがあった。 終わってみると、首位西武ライオンズから21ゲーム差、借金20の最下位となり、マドロックはこのシーズン限りで契約解除された。 コーチ兼任となった山本功児は44試合出場、打率.226、0本塁打、5打点に終わり、このシーズン限りで現役引退した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | 近鉄 | 1.5 | 近鉄 | 4.5 | 近鉄 | 7.5 | 近鉄 | 5.0 | 近鉄 | 4.0 | 近鉄 | 1.5 | 近鉄 | 0.0 |
3位 | ロッテ | 2.0 | ロッテ | 8.0 | 日本ハム | 11.5 | 日本ハム | 8.5 | 日本ハム | 12.0 | 日本ハム | 9.0 | 日本ハム | 12.5 |
4位 | 日本ハム | 3.0 | 日本ハム | 9.5 | ロッテ | 11.5 | 阪急 | 10.0 | 南海 | 13.0 | 阪急 | 12.5 | 阪急 | 15.0 |
5位 | 阪急 | 6.5 | 南海 | 10.0 | 南海 | 11.5 | 南海 | 10.5 | 阪急 | 13.0 | 南海 | 13.5 | 南海 | 17.5 |
6位 | 南海 | 8.0 | 阪急 | 13.0 | 阪急 | 15.0 | ロッテ | 11.0 | ロッテ | 15.0 | ロッテ | 14.5 | ロッテ | 21.0 |
オールスターゲーム1988
詳細は「1988年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
詳細は「1988年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照