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1984年ロサンゼルスオリンピック

1984年ロサンゼルスオリンピック(1984ねんロサンゼルスオリンピック)は、1984年7月28日から8月12日までの16日間、アメリカ合衆国ロサンゼルスで開催されたオリンピック競技大会。一般的にロサンゼルスオリンピックあるいはロス五輪と呼称される。

1984年ロサンゼルスオリンピック
第23回オリンピック競技大会
Jeux de la XXIIIe olympiade
Games of the XXIII Olympiad
開催都市 アメリカ合衆国 ロサンゼルス
参加国・地域数 140
参加人数 6,829人(男子5,263人、女子1,566人)
競技種目数 21競技221種目
開会式 1984年7月28日
閉会式 1984年8月12日
開会宣言 ロナルド・レーガン 大統領
選手宣誓 エドウィン・モーゼス
審判宣誓 (シャーロン・ウェーバー)
最終聖火ランナー レイファー・ジョンソン
主競技場 ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム
夏季
冬季
(Portal:オリンピック)
(テンプレートを表示)

規定の変更により、この大会から夏季オリンピックの入賞枠が6位までから8位までに拡大された。

商業五輪

この大会は1セントも税金を使わずに行われた。スタジアムも1932年ロサンゼルスオリンピック時のものを使っている。それまでの大会は、スタジアムの建設や環境整備などで開催都市が多額の費用を負担し、赤字続きで大きなダメージを残したこともあり、1984年大会の開催都市立候補はロサンゼルス市だけ[注釈 1]、とオリンピック開催は不人気だった。

税金を使わなければ、政治的介入を阻止できると、南カリフォルニアオリンピック委員会は考えたのである(大会委員長はピーター・ユベロス)。

開催するために必要な費用は、以下の4本柱を立てて賄った。

  1. テレビ放映料:テレビ放映権は、それまでの常識を超える金額を最低価格として提示、アメリカ4大ネットワークのうちで一番高い金額を示したABCと約450億円で契約。放映権料を前払いとして、利息を稼ぐ徹底ぶりだった。
  2. スポンサー協賛金:それまで多くのスポンサー企業がマークを使用し、多種多様な活動をしたが、スポンサー数があまりにも多すぎたので、メリットが半減していると判断し、スポンサーは1業種1社、合計で30社と数を減らして価値を高めた。ロサンゼルス五輪のマークを自由に使える、というのが条件だった。コカ・コーラペプシが激しいスポンサー争いを演じ、他業種もスポンサーに次々に名乗りを上げ、高額の協賛金が集まった。
  3. 入場料収入
  4. 記念グッズの売上

かくして最終的にはこの大会は、およそ400億円の黒字で終了かつ成功し、その全額がアメリカの青少年の振興とスポーツのために寄付された。この大会の成功が、その後の五輪に影響を与える商業主義の発端となった。

ボイコット

 
  1976年モントリオールオリンピックをボイコットした国
  1980年モスクワオリンピックをボイコットした国
  1984年ロサンゼルスオリンピックをボイコットした国
  上記3大会とも参加した国

1980年に行われたモスクワオリンピックに、その前年に行われた「ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する」という理由で、アメリカが西側諸国イスラム諸国にボイコットを呼びかけた結果、日本西ドイツ大韓民国サウジアラビアトルコエジプトインドネシアなどの国々が参加しなかった。その報復として東側諸国は本大会をボイコットした(表向きの理由は1983年アメリカ軍によるグレナダ侵攻に対する抗議)。

なお、ロサンゼルス大会の不参加国はソビエト連邦、東ドイツポーランドチェコスロバキアハンガリーブルガリアベトナムモンゴル北朝鮮キューバエチオピアアフガニスタンアンゴライラン[注釈 2] などであった。

一方、社会主義陣営の国のうちソ連と距離を置いていたユーゴスラビアニコラエ・チャウシェスク政権のルーマニアはモスクワオリンピックとロサンゼルスオリンピックの双方に参加してロサンゼルスオリンピックではルーマニアは開催国である米国に次ぐ数の金メダルを獲得し、中華人民共和国中ソ対立でアメリカと接近したため、モスクワオリンピックは不参加、ロサンゼルスオリンピックは参加して金メダルはルーマニアと西ドイツに次ぐ数を獲得した。

聖火ランナー

大会委員長のピーター・ユベロスは一般市民の聖火ランナーからも、参加費用を徴収しようと計画。一緒にオリンピックを作る一員として、聖火ランナーに参加してくれる人なら、資金的な協力もしてくれる、というのがユベロスの考えだったのだが、聖火を運ぶのは、もともとギリシャ委員会の管轄で、ギリシャ委員会は「聖火を商品化するとは五輪を冒涜する行為」と待ったを掛けてきた。

しかし結局、ユベロスがギリシャ委員会を説得して有料聖火ランナーは実施された。この時には1936年ベルリンオリンピックで、日本代表でマラソン競技に優勝した孫基禎も聖火ランナーの一員として走っている。

大会マスコット

エンブレム

  • オリンピックエンブレムの星にある13本の横線は、米国独立時の13州を表しているという。赤・白・青は、アメリカの国旗の色を表しているという[1]

ハイライト

ソ連・東欧圏の選手が出場しなかった結果、射撃の蒲池猛夫(日本)、体操女子個人総合のレットン(アメリカ)など、幾つかの競技で、それまでメダルに縁の無かった国に金メダルをもたらした。特にレットンの金メダル獲得はアメリカで体操のブームを呼び、多くの子供達が体操競技を始めた結果、のちの体操競技におけるアメリカ勢の躍進の原動力となった。また、「女子選手には危険過ぎる」との理由で長年開催されていなかった女子マラソンがこの大会から公式競技となったが、8月開催の大会のため酷暑の中でのレースとなり、温度を下げるためにコース中にシャワーを設置するなど対策を行ったものの、ガブリエラ・アンデルセンスイス)が脱水症状により千鳥足でゴールする事となった。ソ連や東ドイツが不参加した結果、アメリカ合衆国は、自国開催であるからこそ、最大限に力を発揮した。

開会式

開会式はアメリカ東部時間に合わせて午後5時から開式。

ロナルド・レーガンによる開会宣言、ジョン・ウィリアムズによるオリンピックテーマ曲、風船を持った人間による人文字、軽飛行機による「WELCOME」の文字の描かれた幕を牽引した展示飛行、飛行船2隻による巨大な「WELCOME」の幕の上空掲揚、ビル・スーターの操縦する個人用ジェット推進飛行装置・ロケットベルトを使った空中遊泳(俗にロケットマンと呼ばれた)、多数のピアノを使用したラプソディ・イン・ブルーの演奏などが催され、とくにロケットマンの演出は大きな話題を呼んだ[2]

閉会式

閉会式は8月12日午後6時30分に開式通告され、五輪旗がロサンゼルスのトーマス・ブラッドリー市長からIOCのサマランチ会長に、そしてソウル市の廉普鉉市長に手渡された。また、大会委員長のユベロスにオリンピックオーダーの称号が与えられた。聖火が消灯された後、UFOとの音と光の交信が行われ、宇宙人が登場。そして花火で大会が締めくくられた。

競技会場

本大会は主にロサンゼルス郡オレンジ郡サンバーナーディーノ郡サンディエゴ郡ベンチュラ郡の5郡にまたがって開催された。一部、他州で開催された種目もあった。

ロサンゼルス郡

ロサンゼルス市内

その他のロサンゼルス郡内

  • アーテシア・フリーウェイ(91号フリーウェイ) - 自転車競技団体ロードレース
  • ウェインガート・スタジアム(モントレー・パーク市、イースト・ロサンゼルス・カレッジのキャンパス内) - ホッケー
  • エル・ドラド・パーク(ロングビーチ市) - アーチェリー
  • オリンピック・ベロドローム(セブン-イレブン・ベロドローム、カーソン市、カリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校のキャンパス内) - 自転車競技トラックレース
  • ザ・フォーラム - バスケットボール
  • サンタアニタパーク競馬場 - 馬術
  • サンタモニカ・カレッジ - マラソン・スタート[3]
  • サン・ヴィセンテ通り、オーシャン・アヴェニュー、90号ハイウェイ、エクスポジション大通りなど - マラソン[3]
  • ローズボウル - サッカー決勝
  • ローリー・ラネルズ・メモリアル・プール(ペパーダイン大学のキャンパス内) - 水球
  • ロサンゼルス・テニスセンター(カリフォルニア大学ロサンゼルス校のキャンパス内) - テニス
  • ロングビーチ・コンベンションセンター(ロングビーチ市) - フェンシング
    • ロングビーチ・アリーナ(ロングビーチ・コンベンションセンター内) - バレーボール
  • ロングビーチ・ショアライン・マリーナ(ロングビーチ市) - セーリング

オレンジ郡

サンバーナーディーノ郡

  • プラド・リージョナル・パーク(チノ市) - 射撃

サンディエゴ郡

  • フェアバンクス・ランチ・カントリークラブ(ランチョ・サンタ・フェ市) - 馬術

ベンチュラ郡

  • カシータス湖(ロス・パドレス国有林内の人口湖) - カヌー、ボート

その他の地域

実施競技

各国・地域のメダル獲得数

国・地域
1   アメリカ合衆国(開催国) 83 61 30 174
2   ルーマニア 20 16 17 53
3   西ドイツ 17 19 23 59
4   中国 15 8 9 32
5   イタリア 14 6 12 32
6   カナダ 10 18 16 44
7   日本 10 8 14 32
8   (ニュージーランド) 8 1 2 11
9   ユーゴスラビア 7 4 7 18
10   韓国 6 6 7 19

主なメダリスト

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1932年ロサンゼルスオリンピックでも、同様に単独立候補だった。2028年ロサンゼルスオリンピック2024年パリオリンピックとの同時選考で、立候補はこの2つの都市しかなかった。
  2. ^ モスクワオリンピックも不参加
  3. ^ ミッションビエホ近隣の地域。2012年現在、市として独立しておらず、郡の管理下にある。
  4. ^ ハーバード大学のほぼ全ての建物はケンブリッジ市内にあるが、ハーバード・スタジアムは隣のボストン市内にある。

出典

  1. ^ 歴代五輪エンブレム(5)ロサンゼルス 人民網 日本語版
  2. ^ “口パク、ハト焼死… 物議や話題呼んだ五輪開会式の演出あれこれ”. 毎日新聞. (2021年3月19日). https://mainichi.jp/articles/20210319/k00/00m/050/004000c 2021年3月19日閲覧。 
  3. ^ a b 1984 Olympic Marathon Reference Points RunScore 2012年8月20日閲覧
  4. ^ “東京オリンピック2020|野球|競技紹介”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月31日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • IOC Los Angeles 1984 Page
  • JOCオリンピックの歴史
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