1977年のクラウンライターライオンズでは、1977年のクラウンライターライオンズの動向をまとめる。
1977年のクラウンライターライオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 年間成績:49勝73敗8分 勝率.402 後期5位:29勝35敗1分 勝率.453 前期6位:20勝38敗7分 勝率.345 | |
本拠地 | |
都市 | 福岡県福岡市 |
平和台野球場 | |
球団組織 | |
オーナー | 中村長芳 |
経営母体 | 福岡野球 |
監督 | 鬼頭政一 |
« 1976 1978 » |
この年のクラウンライターライオンズは、鬼頭政一監督の2年目のシーズンである。
概要
平和相互銀行が資本参加していた太平洋クラブに代わり、クラウンガスライターが命名権を取得してクラウンライターライオンズとなったこの年、「Lions」のロゴはそのままでメインカラーが赤に変更された。前年採用のアメフト型は選手やファンから不評だったこともあり、デザインはシンプル化され、ビジター用は「CROWN LIGHTER」の2段構えとなり胸番号が廃止された。デザイン変更の効果が期待されたが、前期は借金18でぶっちぎり最下位。後期は借金を1ケタにとどめるものの5位に終わった。結局前期の借金を取り返せないまま2年連続の最下位に終わり鬼頭監督は2年で辞任し、球界の寝業師・根本陸夫が新監督となった。このシーズンオフのドラフト会議で、江川卓をドラフト1位指名し、入団拒否されたことが話題となった。最下位に沈んだチームの中で投手陣は東尾修がリーグワーストの20敗(11勝)を喫し、大洋から移籍の山下律夫が12勝、ローテーションに加わった永射保が9勝を挙げるも後は不調に終わった。打撃陣は基満男・竹之内雅史・土井正博らベテラン組が打線の中心を担った一方で、真弓明信や若菜嘉晴が台頭するなど世代交代の兆しも見え始める。
チーム成績
レギュラーシーズン
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 69 | 51 | 10 | .575 | --- |
2位 | 南海ホークス | 63 | 55 | 12 | .534 | 5.0 |
3位 | ロッテオリオンズ | 60 | 57 | 13 | .513 | 7.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 59 | 61 | 10 | .492 | 10.0 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 58 | 61 | 11 | .487 | 10.5 |
6位 | クラウンライターライオンズ | 49 | 73 | 8 | .402 | 21.0 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1977
詳細は「1977年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン |
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選出なし |
ダイヤモンドグラブ賞 |
選出なし |
ドラフト
詳細は「1977年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照