1975年のロッテオリオンズでは、1975年のロッテオリオンズの動向についてまとめる。
1975年のロッテオリオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
59勝65敗6分 勝率.476[1] | |
前期6位 | 27勝34敗4分 勝率.443[1] |
後期2位 | 32勝31敗2分 勝率.508[1] |
本拠地 | |
都市 | 宮城県(暫定保護地域) |
球場 | 特定本拠地なし (主に宮城球場を使用) |
球団組織 | |
オーナー | 重光武雄 |
経営母体 | ロッテ |
監督 | 金田正一 |
« 1974 1976 » |
この年のロッテオリオンズは、金田正一監督の3年目のシーズンである。
概要
このシーズンからパ・リーグでは指名打者制度が導入され、各球団は打線の組み方から投手交代のタイミングまで采配を大きく変更することを余儀なくされた。前年念願の日本一を達成したロッテだが、主砲のジョージ・アルトマンが退団(その後阪神タイガースにテスト入団)したため、新たな主砲としてジミー・ロザリオを獲得してシーズンに望んだものの、ロザリオはまったく打てずに5月に解雇、さらにジム・ラフィーバーも金田監督との対立で6月に登録抹消(その後引退しコーチに)、追い打ちをかける様に金田留広・木樽正明・村田兆治・成田文男の「4本柱」の内、金田が勝てず木樽も腰痛で村田・成田に頼る有様。6月には新たな外国人選手として、ラファエル・バティスタ(バチスタ)とビル・マクナルティを獲得したが、バチスタの初打席初本塁打が目立つ程度。総合では4位に落ちた。そして外国人選手に泣かされるのは、翌1976年も続く。
チーム成績
レギュラーシーズン
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 64 | 59 | 7 | .520 | --- |
2位 | 近鉄バファローズ | 71 | 50 | 9 | .587 | -8.0 |
3位 | 太平洋クラブライオンズ | 58 | 62 | 10 | .483 | 4.5 |
4位 | ロッテオリオンズ | 59 | 65 | 6 | .476 | 5.5 |
5位 | 南海ホークス | 57 | 65 | 8 | .467 | 6.5 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 6.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1975
詳細は「1975年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
- 6月3日 - ラファエル・バティスタ(バチスタ)選手、南海ホークス戦で初打席初本塁打。しかし同選手が日本で打った本塁打は、これを含めて計3本。
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
有藤通世 | 三塁手 | 7年連続7度目 |
弘田澄男 | 外野手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
有藤通世 | 三塁手 | 4年連続4度目 |
弘田澄男 | 外野手 | 3年連続3度目 |
ドラフト
詳細は「1975年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
注釈
- ^ マクナルティ入団後は15に変更。
出典
- ^ “年度別成績 1975年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月19日閲覧。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月19日閲覧。