1971年の近鉄バファローズでは、1971年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
1971年の近鉄バファローズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ3位 | |
65勝60敗5分 勝率.520[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 日本生命球場 |
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球団組織 | |
オーナー | 佐伯勇 |
経営母体 | 近畿日本鉄道 |
監督 | 岩本尭 |
« 1970 1972 » |
この年の近鉄バファローズは、岩本尭監督の1年目のシーズンである。
概要
三原脩前監督の勇退を受けて岩本新監督が就任したこの年、チームは鈴木啓示・佐々木宏一郎・清俊彦などの投手陣の活躍もあり開幕から好調で4月を首位で終了。しかし5月以降は前年の4位から雪辱を期す阪急が首位の座に立ち、南海とのAクラス争いがシーズン終盤まで続いた。最後は南海の追い上げを振り切って3位を確保するが、阪急に18ゲーム差、2位のロッテにそれぞれ14ゲーム差を離されて全日程を終了。投手陣は鈴木が21勝をあげて5年連続の最多奪三振を獲得し、清が15勝、佐々木が14勝、2年目の神部年男が10勝と2ケタ勝利4人を出し防御率ベスト10にも入る好調でチーム防御率は優勝の阪急に次ぐリーグ2位の3.22を記録し、被安打もリーグ最少だった。打撃陣は4番の土井正博が阪急の長池徳士と本塁打王を争うなどの活躍でチーム本塁打はリーグ3位を記録するも、土井以外の選手が不調でチーム打率・得点ともにリーグ4位に終わった。成績は前年と横ばい(65勝59敗6分→65勝60敗5分)だったが、それでも三原監督時代の1969年以来3年連続のAクラスとなり、岩本監督の1年目は幸先のよいスタートとなった。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 近鉄 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 阪急 | 0.5 | ロッテ | 2.5 | ロッテ | 6.5 | ロッテ | 1.0 | ロッテ | 3.5 | ロッテ | 3.5 |
3位 | 西鉄 | 1.0 | 近鉄 | 6.5 | 近鉄 | 14.0 | 近鉄 | 15.0 | 近鉄 | 15.5 | 近鉄 | 18.0 |
4位 | 南海 | 1.5 | 南海 | 12.0 | 南海 | 17.0 | 南海 | 14.5 | 南海 | 16.5 | 南海 | 22.5 |
5位 | ロッテ | 2.0 | 東映 | 13.5 | 東映 | 21.0 | 東映 | 24.0 | 東映 | 28.0 | 東映 | 35.5 |
6位 | 東映 | 7.0 | 西鉄 | 西鉄 | 24.5 | 西鉄 | 26.5 | 西鉄 | 32.5 | 西鉄 | 43.5 |
オールスターゲーム1971
詳細は「1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン |
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選出なし |
ドラフト
詳細は「1971年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照