1964年の東映フライヤーズでは、1964年の東映フライヤーズにおける動向をまとめる。
1964年の東映フライヤーズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ3位 | |
78勝68敗4分 勝率.534[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 大川博 |
経営母体 | 東映 |
監督 | 水原茂 |
« 1963 1965 » |
この年の東映フライヤーズは、水原茂監督の4年目のシーズンである。
概要
駒澤野球場の閉場に伴い、明治神宮野球場を仮本拠地として使用していた東映は、国鉄スワローズが明治神宮野球場を正式に本拠地とした影響で、この年から、後楽園球場を事実上の本拠地として使用し始めた(翌年から正式に本拠地)。またこの年は尾崎行雄・土橋正幸・嵯峨健四郎の3投手が20勝を上げたものの、チームは成績不振で、7月までは西鉄との4位争いが続いた。8月に4位に浮上すると終盤は東京を抜いてAクラス入りし何とか逃げ切った。最後は全球団に勝ち越し前述の20勝投手を3人も出しながら、チームは3位に甘んじる珍現象になった。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 3月終了時 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 西鉄 | -- | 阪急 | -- | 西鉄 | -- | 阪急 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
2位 | 南海 | 1.5 | 西鉄 | 1.0 | 阪急 | 0.0 | 南海 | 2.0 | 阪急 | 0.5 | 阪急 | 6.0 | 阪急 | 3.5 |
3位 | 阪急 | 2.5 | 南海 | 2.5 | 南海 | 2.0 | 東京 | 3.5 | 東京 | 8.5 | 東京 | 9.5 | 東映 | 5.5 |
4位 | 東京 | 東京 | 東京 | 3.0 | 西鉄 | 7.5 | 西鉄 | 10.5 | 東映 | 11.5 | 東京 | 6.0 | ||
5位 | 東映 | 4.0 | 東映 | 3.0 | 東映 | 6.0 | 東映 | 10.0 | 東映 | 11.5 | 西鉄 | 17.5 | 西鉄 | 19.5 |
6位 | 近鉄 | 4.5 | 近鉄 | 9.0 | 近鉄 | 10.0 | 近鉄 | 19.0 | 近鉄 | 23.0 | 近鉄 | 30.5 | 近鉄 | 28.5 |
オールスターゲーム1964
詳細は「1964年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 取り消し線は出場辞退
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
張本勲 | 外野手 | 5年連続5度目 |