1956年の近鉄パールスでは、1956年の近鉄パールスの動向をまとめる。
1956年の近鉄パールス | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ5位 | |
68勝82敗4分 勝率.453[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 藤井寺球場(デーゲーム) 大阪球場(ナイター) |
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球団組織 | |
オーナー | 佐伯勇 |
経営母体 | 近畿日本鉄道 |
監督 | 芥田武夫 |
« 1955 1957 » |
この年の近鉄パールスは、芥田武夫監督の4年目のシーズンである。
概要
芥田監督就任4年目のチームは4月を首位と3.5ゲーム差の4位と健闘するが、5月に8連敗と負けが込んで一気にBクラスに転落。7月は14勝9敗1分、8月は4連勝を2度記録するなど14勝9敗と2か月で貯金10を作り、借金返済が目前に迫った。しかし、9月に5連敗するなど終盤は負けが込みその後も巻き返せず上位の西鉄・南海・阪急・毎日4球団の牙城を崩すことはできず、優勝の西鉄に29.5ゲーム差、4位の毎日に16ゲーム差を付けられて借金14の5位に終わり、2年ぶりのAクラス復帰はならなかった。投手陣は武智文雄が16勝、関根潤三が9勝など先発陣が健闘してチーム防御率を3点台前半(3.17)にとどめるも、打撃陣は相変わらずの貧打にあえぎ48本塁打で50本未満にとどまり、チーム打率も.226のリーグ6位と、不本意な結果に終わった。対戦成績では阪急、毎日に11勝11敗で互角だったものの、優勝の西鉄には5勝15敗2分、2位南海には5勝17敗と両球団に大きく負け越したのが響き、借金返済はならなかった。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 南海 | -- | 毎日 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 西鉄 | -- | 西鉄 | -- |
2位 | 毎日 | 0.5 | 南海 | 0.5 | 西鉄 | 阪急 | 1.5 | 西鉄 | 4.0 | 南海 | 0.0 | 南海 | 0.5 | |
3位 | 西鉄 | 2.5 | 西鉄 | 2.0 | 毎日 | 2.0 | 西鉄 | 3.5 | 阪急 | 7.0 | 阪急 | 9.0 | 阪急 | 10.5 |
4位 | 近鉄 | 3.0 | 阪急 | 6.0 | 阪急 | 2.5 | 毎日 | 7.0 | 毎日 | 11.5 | 毎日 | 12.0 | 毎日 | 13.5 |
5位 | 阪急 | 4.0 | 近鉄 | 10.5 | 近鉄 | 18.5 | 近鉄 | 19.0 | 近鉄 | 22.0 | 近鉄 | 27.5 | 近鉄 | 29.5 |
6位 | 高橋 | 10.5 | 東映 | 13.0 | 東映 | 21.5 | 東映 | 25.0 | 東映 | 34.0 | 東映 | 36.5 | 東映 | 39.5 |
7位 | 東映 | 11.5 | 大映 | 17.5 | 高橋 | 23.0 | 高橋 | 29.5 | 大映 | 40.5 | 大映 | 41.0 | 大映 | 41.0 |
8位 | 大映 | 12.0 | 高橋 | 18.5 | 大映 | 24.5 | 大映 | 30.5 | 高橋 | 41.0 | 高橋 | 46.0 | 高橋 | 45.5 |
オールスターゲーム1956
詳細は「1956年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 選出なし |
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監督推薦 | 武智文雄 |
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン |
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選出なし |