1955年の大阪タイガース(1955ねんのおおさかタイガース)では、1955年シーズンの大阪タイガースの動向をまとめる。
1955年の大阪タイガース | |
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成績 | |
セントラル・リーグ3位 | |
71勝57敗2分 勝率.555[1] | |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 甲子園球場 |
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球団組織 | |
オーナー | 野田誠三 |
経営母体 | 阪神電気鉄道 |
監督 | 岸一郎(5月19日まで) 藤村富美男(5月20日から選手兼任) |
« 1954 1956 » |
この年の大阪タイガースは、岸一郎が監督に就任したが、5月から休養し、藤村富美男がシーズン途中から選手兼任で監督を務めたシーズンである。
概要
1954年7月に起きた没収試合の責任を取って松木謙治郎監督が辞任すると、本社社長を兼ねる野田オーナーは新監督の人選選びに着手。有力候補の藤村富美男を押しのける形で監督に就任した岸一郎はベテランに頼るチームの体質改善を図るべく、三宅秀史やこの年入団の西村一孔をはじめ若手選手を主力に抜擢。だが起用された若手選手は未熟な面が多く、藤村や金田正泰などのベテラン選手がこれに反発。岸監督は5月半ばで休養に入り、藤村が選手兼任で監督に就任。藤村新監督就任後もチームは巨人や前年リーグ優勝の中日の背中を追いかけることはできず、結局前年と同じ3位で藤村監督の1年目は終了した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 大阪 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 巨人 | 0.0 | 中日 | 3.5 | 大阪 | 9.0 | 中日 | 5.5 | 中日 | 7.5 | 中日 | 15.5 | 中日 | 15.0 |
3位 | 中日 | 0.5 | 大阪 | 6.0 | 中日 | 9.0 | 大阪 | 14.5 | 大阪 | 17.5 | 大阪 | 18.5 | 大阪 | 20.5 |
4位 | 国鉄 | 4.0 | 国鉄 | 10.0 | 国鉄 | 17.0 | 国鉄 | 21.5 | 国鉄 | 25.5 | 広島 | 32.0 | 広島 | 33.5 |
5位 | 大洋 | 4.0 | 大洋 | 12.0 | 広島 | 23.0 | 広島 | 23.5 | 広島 | 28.5 | 国鉄 | 32.5 | 国鉄 | 34.5 |
6位 | 広島 | 6.5 | 広島 | 13.5 | 大洋 | 26.0 | 大洋 | 35.0 | 大洋 | 46.0 | 大洋 | 53.0 | 大洋 | 61.5 |
オールスターゲーム1955
詳細は「1955年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- ファン投票で選ばれた金田正泰は怪我のため、コーチとしてベンチ入り
- 藤村富美男は内野手不足に伴い、コーチから編入して出場
できごと
この節の加筆が望まれています。 |