龍気寺(りゅうきじ)は、岐阜県加茂郡白川町(切井)[2]にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山。旧苗木藩領に存在する寺院のうち、唯一廃仏毀釈前の寺号を名乗る。
龍気寺 | |
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所在地 | 岐阜県加茂郡白川町切井828-1 |
位置 | 北緯35度32分42.3秒 東経137度17分40.2秒 / 北緯35.545083度 東経137.294500度座標: 北緯35度32分42.3秒 東経137度17分40.2秒 / 北緯35.545083度 東経137.294500度 |
山号 | 大雲山 |
宗旨 | 天台宗 → 禅宗 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建年 | 天和3年(1683年) |
開山 | (一桂) |
開基 | 山口亀助(文化4年、1807年)の拡張 |
中興年 | 明治28年(1895年) |
中興 | 仁応 |
正式名 | 大雲山龍氣禪寺[1] |
法人番号 | 9200005006633 |
龍気寺 龍気寺 (岐阜県) |
天和3年(1683年)、天台宗の古寺があったと伝わる地に、苗木雲林寺5世一桂和尚により開かれた。その後、雲林寺6世浣谿、雲林寺7世泰伝が住持を務めており、雲林寺住持の隠居寺としての役割を担っていた。
文化4年(1807年)、切井の住民であった山口亀助によって、背後にある山に三十三観音の石仏と西国三十三ヶ所のお砂ふみ所を設けた。山口亀助が医者の隠居であったことから、背後の山を隠居山、観音霊場を隠居山観音と称した。
明治28年(1895年)、最後の住持であった仁応和尚は、宮城県松島瑞巌寺の塔頭で無住となっていた五葉庵を切井に移転させる形で、再興を果たした。
近隣で信仰され、廃仏毀釈の際に隠された仏像を複数所蔵するほか、岐阜県の文化財に指定されている来歴不明の応永年間に造られた銅製鰐口を有する。
脚注
参考文献
- 白川町誌編纂委員会 編『白川町誌』p878、911、912 1968年
関連項目
- 苗木藩
- (青山景通#廃仏毀釈)
外部リンク
- 公式ウェブサイト