鹿島海軍航空隊(かしまかいぐんこうくうたい)は,大日本帝国海軍航空隊の部隊の一つ。主に水上機の訓練を行っていたが,太平洋戦争後期に絶対国防圏が策定されると日本本土防空部隊となった。戦争末期には特別攻撃隊を編成し,沖縄戦において特攻作戦に従事した。
沿革
- 1937年頃 - 仮称「安中航空隊」として軍用道路・水道の建設,水田や野原の埋め立て工事が開始。
- 1938年12月15日 - 鹿島海軍航空隊として開隊。
- 1938年10月11日 ー 司令として千田貞敏が着任。
- 1941年10月 - 分遣隊として現在の茨城県潮来市大生に水上機基地を設営開始(鹿島海軍航空隊北浦分遣隊)。
- 1942年4月1日 - 前年より工事を行なっていた鹿島海軍航空隊北浦分遣隊を(北浦海軍航空隊)として独立。
- 1944年12月15日-鹿島水上機基地にて六三一空開隊。瑞雲を使用し訓練を始める。
- 1945年1月20日-六三一空が呉水上機基地に移転。
- 1945年5月5日 - 練習航空隊を解除。鹿島海軍航空隊北浦分遣隊となる。
- 1945年8月15日 - 終戦により解隊。
主力機種
赤とんぼ及び零観,零偵,九五水偵は訓練用として使われ,二式水戦は防空用として使われた。千葉県の香取空と協力して米軍爆撃機や戦闘機を撃墜したこともあったという。
瑞雲は主に六三一空の機体として使用されていたが,少数が鹿島空所属機として偵察・防空に従事した。
基地及びその現状
基地は現在の茨城県稲敷郡美浦村大山にあった。現在,施設の一部は国立環境研究所,ソーラーパネル用地,民間の水上飛行場として利用されているが,敷地の大部分は終戦時のまま残っており一部建物も残存している。他の遺構として,カタパルト台座跡と水上切り発着スロープが残っている。カタパルト台座跡は湖岸付近に残り,スロープは2つが残存しており今も使用される。なお,東日本大震災の影響でスロープの一部が破損したため修理が施されている。
尾翼の略符号
主に「カシ」の略符号が使われた。
参考文献
は列挙するだけでなく、(脚注)などを用いてしてください。 |
- 「フィールドワーク茨城県の戦争遺跡学び・調べ・考えよう」編・伊藤純郎(平和文化 2008年)
- 防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
- 防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
関連項目
- 大日本帝国海軍航空隊
- 大日本帝国海軍航空隊一覧
- 霞ヶ浦海軍航空隊
- 土浦海軍航空隊
- (北浦海軍航空隊)