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高木 正成(たかぎ まさなり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。河内国丹南藩の第2代藩主。官位は従五位下・主水正。
略歴
初代藩主・高木正次の長男として近江国にて誕生した。母は大久保忠佐の養女。幼名は善次郎。
慶長3年(1598年)より徳川家に仕え、慶長5年(1600年)の(第二次上田合戦)では父と共に真田昌幸を攻めた。慶長19年(1614年)、(大坂冬の陣)に従軍して戦功を挙げ、上総国内に1000石を与えられた。翌年の(大坂夏の陣)においても天王寺口で戦い、戦傷を負いながらも武功を挙げたため、さらに1000石を加増された。寛永7年(1630年)、父の死去により跡を継ぐ。このとき、先の2000石を長男の正弘と次男の(正好)に分与している。
小田原城守衛や御書院番頭などを務めたことから上総国内に3000石を加増され、後に(大番頭)にもなった。寛永12年(1635年)3月11日、49歳で死去し、跡を長男の正弘が継いだ。