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概要
多摩川と秋川の合流点近くで、加住丘陵を利用した天然の要害である。曲輪、堀切、土塁などの遺構が残る。1458年(長禄2年)山内上杉氏の重臣で武蔵国の守護代(大石顕重)(大石信重の玄孫)が築城し、二宮(現在のあきる野市)から移った、とされている。
田中正光の論によると『(廻国雑記)』に 「前庭に高閣あり、矢倉などを相かねて侍けるにや、遠景すぐれて数千里の江山眼の前に盡ぬとおもおゆ」という記述が高月城を指すものとしているが確証はない。また、大石氏が高月城城主である旨の記述のある大石氏系図については他研究者から信憑性についての指摘がなされており、高月城と大石氏を直接結ぶ確かな史料は確認されていない。
観光
アクセス
関連項目
- (日本の城一覧)
- 夜行さん・・・首なし馬に姫君が乗る姿で現れる八王子の妖怪伝承。
外部リンク
- 多摩川の名脇役 国土交通省京浜河川事務所