駒澤大学附属岩見沢高等学校(こまざわだいがくふぞくいわみざわこうとうがっこう、Komazawa University Iwamizawa High School)は、かつて北海道岩見沢市緑が丘五丁目102番地に存在した私立高等学校。略称は「駒大岩見沢」・「駒岩」で、北海道岩見沢市では唯一の私立高等学校であった。
駒澤大学附属岩見沢高等学校 | |
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北緯43度10分56.9秒 東経141度46分17.4秒 / 北緯43.182472度 東経141.771500度座標: 北緯43度10分56.9秒 東経141度46分17.4秒 / 北緯43.182472度 東経141.771500度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人駒澤大学 |
設立年月日 | 1964年1月28日 |
創立記念日 | 1月28日 |
閉校年月日 | 2014年3月31日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | (全日制課程) |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | I型(文系コース) II型(理系コース) III型(教養コース ) |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 01534C |
所在地 | 〒068-0835 |
北海道岩見沢市緑が丘五丁目102番地 | |
(ウィキポータル 教育) ウィキプロジェクト 学校 |
概要
その名の通り駒澤大学の附属校であった。同じ岩見沢市にはかつて岩見沢駒澤短期大学があったが、こちらは1989年に廃止されている。なお、同校の跡地は駒沢看護専門学校に転用されている。また、同じ北海道内には同じ駒澤大学附属校である駒澤大学附属苫小牧高等学校(苫小牧市)が存在する。
2010年10月8日、駒澤大学は記者会見を行い、生徒数減少を理由とする2012年度からの生徒募集停止を発表[2]。その後、2014年3月をもって閉校[1]。
野球部は春夏合わせて12回甲子園に出場した。最高成績は1993年春(第65回大会)のベスト4である。
沿革
野球部
1978年より指揮を執る佐々木啓司監督の下、「守りの野球をしようにも、素質のある選手が集まらない」と、打力重視のチームとなり、「ヒグマ打線」という異名もつくほどの強豪になった[4]。閉校までに春に8回、夏に4回、秋に3回、全国出場。1993年の春65回大会では4強入りした。
夏の予選においては南北海道大会に参加していたが、2007年度より道高野連支部の区分け変更に伴い北北海道大会へ移ることになり、その初年度の夏に駒大苫小牧とのアベック出場が決まった。両校とも系列が同じであるためユニフォームも基本デザインが同じであるが、岩見沢がグレー、苫小牧が白をベースにしたユニフォームである。また、帽子のマークは苫小牧は「K」であるが、岩見沢は「KOMAZAWA」であった。なお、1992年以前は苫小牧と同じ「K」(色は苫小牧の白色と異なり朱色)であったが、岩見沢の伝統を受け継ぐ意味も込め、攻撃時に被るヘルメットのマークを「KOMAZAWA」に変えていた。
著名な卒業生
- 本間満(元福岡ソフトバンクホークス・内野手)
- 佐藤誠(元福岡ソフトバンクホークス・投手)
- 古谷拓哉(元千葉ロッテマリーンズ・投手)
- 小林靖典(元石狩レッドフェニックス・内野手)
- 白水直樹(読売ジャイアンツ・トレーニングコーチ)
- (北道貢)(元NTT東日本・外野手、現コーチ)
- 渡瀬弥太郎(スキージャンプ元日本代表・雪印乳業所属)
- 岡部孝信(スキージャンプ日本代表・雪印乳業所属)
- 田中信一(スキージャンプ元日本代表・雪印乳業所属)
- 東輝(スキージャンプ日本代表・日本空調サービス所属)
- 伊藤辰史(ボクシング元日本スーパーウェルター級チャンピオン・木村ジム所属)
- オジョー(上海ドール・お笑い芸人)
- (瀧谷翼)(MONOBRIGHT・ロックバンド、ドラム)
- 佐々木啓司(高校野球指導者・駒澤大学附属岩見沢高等学校野球部監督、クラーク記念国際高等学校野球部監督)
系列校
脚註
関連項目
外部リンク
- 附属岩見沢高等学校 証明書発行について - 駒澤大学