飯野城(いいのじょう)は現在の宮崎県えびの市飯野にあった日本の城(山城)。別名を亀城、あるいは鶴亀城。現在は亀城公園。えびの市指定史跡[1]。
概要
比高50メートルの河岸段丘上にあり、城の南方は川内川に面して、また東方と西方もその支流が流れいずれも険崖になっており、北方は押建山が壁の役割を果たす要害の城。
本丸・二の丸・三の丸に加え、見張り台・桝形・弓場と呼ばれる郭が存在した。また、10メートルほどであるが石垣が遺構として残されている。
歴史
永暦元年(1160年)に(日下部重貞)が真幸院司に就任し、真幸院守護の目的で築き居城としたが、その日下部氏が没落すると、康永4年(1345年)に(北原兼幸)が真幸院司に就任し居城とした。
永禄7年(1564年)、その北原氏も滅ぶと今度は島津氏の所有となり、島津貴久の次男・島津義弘の居城となった。
天正15年(1587年)に義弘の嫡男・島津久保の居城となるが、久保は(文禄の役)に参加中の文禄2年(1593年)に病死する。