韓 邦慶(かん ほうけい、Hán Bāngqìng、1856年 - 1894年)は、清末の小説家・ジャーナリスト。幼名:寄、字:子雲、号:太仙[1]。
江蘇省松江府(現・上海市)の出身[1]。父の仕事の都合で幼少時より北京に住み、科挙に挑戦した。(童試)に及第して生員となったものの、郷試に中々合格できず、35歳の時に受験を断念。上海に戻って、清朝最大の新聞『申報』に論説を投稿するようになった。1892年、個人雑誌『海上奇書』を創刊し、章回小説・長編小説『海上花列伝』を15期にわたって連載した[2]。
しかし、1894年に『海上花列伝』の単行本が出版された直後、数え39歳で病死した。著作は他に文語による短編小説集『太仙漫稿』がある[3]。
代表的な著作
- 『海上花列伝』
- 『太仙漫稿』
脚注
外部リンク
- 世界大百科事典『(韓邦慶)』 - コトバンク
- 海上花列伝 - 韓邦慶の記述がある。