青木 精一(あおき せいいち、1883年(明治16年)4月19日[1] - 1945年(昭和20年)4月14日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→昭和会)、ジャーナリスト。
経歴
群馬県勢多郡新里村(現在の桐生市)出身。正教神学校を卒業。日露戦争に召集され従軍。日本電報通信社記者となり、シベリア出兵の際には浦塩派遣軍司令部附従軍記者を務めた。その他、大阪新報社東京支局長、中央新聞社政治部長を歴任した。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後、当選回数は7回を数えた。その間、岡田内閣で逓信政務次官を務めた。 1935年(昭和10年)には昭和会の結党に参加した[2]。
脚注
参考文献
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 故正五位青木精一位階追陞の件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)