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青山 幸礼(あおやま ゆきのり)は、江戸時代後期の大名。美濃国郡上藩5代藩主。官位は従五位下・(播磨守)。幸成系青山家9代。
生涯
文化5年(1808年)、3代藩主・青山幸孝の次男として誕生した。兄で4代藩主の幸寛に嗣子が無かったため養子となった。
天保3年(1832年)、幸寛の死去により家督を継いだ。同年12月には江戸城西の丸大手御門番に任じられた。しかし天保の大飢饉で大被害を受けるなど、藩政に苦慮する中で、天保9年(1838年)8月25日[1]に死去した。享年31。
嗣子がなかったため、養子の幸哉が跡を継いだ。
系譜
父母
正室、継室
養子
脚注
- ^ 異説として4月25日。