雪竇重顕(せっちょう じゅうけん、太平興国5年(980年) - 皇祐4年6月10日(1052年7月8日))は、中国の北宋の禅僧。諡は明覚大師。俗姓は李。字は隠之。遂州遂寧県の出身。
生涯
雪竇重顕は、儒門を業とする家に生まれ、幼くより家学の薫陶を受けたが、経世儒学に感じ入らず、出家の道を内心望んでいた。
24歳の時に父母が相次いで世を去り、人生の無常を感じて出家する。普安院仁銑によって受具の後、大慈寺の元瑩、石門の蘊聡について教相を究め、南遊して雲門宗の智門光祚(ちもんこうそ)に謁し、開悟して、その法を嗣いだ。5年間、雲門宗の祖の文偃に学んで、宗旨の蘊奧を究めた。
詩歌文章にも優れて、翰林の才ありと称された。雪竇山に入り、資聖寺に住して門風大いに振るい、雲門宗の隆盛の基礎を築き、中興の祖といわれた。住山30余年、70余人の門弟を養成した。皇祐4年(1052年)6月10日示寂。世寿73。法臘50。
雪竇の語録に『雪竇明覚禅師語録』がある。その中の『景徳傳燈録』『趙州録』『雲門広録』等に収録された過去の禅僧が残した百個の公案について自ら偈頌(漢詩)を付した『雪竇頌古』(『雪竇百則頌古』ともいう[1]。)は、後に臨済宗の圜悟克勤によって垂示・評唱・著語を付されて公案集で名高い『碧巌録』となり[1]、その思想は現在に伝わる。
著作
- 『明覚禅師語録』六巻
- 『瀑泉集』一巻
- 『祖英集』一巻
- 『洞庭語録』一巻
- 『雪竇開堂録』一巻
- 『雪竇拈古集』一巻
- 『雪竇後録』一巻
- 『雪竇拾遺』一巻
伝記
- 『五灯会元』巻十五
- 『続伝灯録』巻二
- 『禅林僧宝伝』巻十一
出典
- ^ a b 岩波仏教辞典 1989, p. 713.
参考文献
外部リンク
- IRIZ>禅籍データベース>明覚禅師語録
- IRIZ>禅籍データベース>雪竇頌古