尼巌城(あまかざりじょう)は、長野県長野市松代町東条にあった日本の城。尼飾城、尼厳城、雨飾城とも表記される。別名、東条城(ひがしじょうじょう)。
概要
標高780mの尼巌山に築かれた、松代周辺の土豪である東条氏の居城である。「一に春山(春山城)二に尼飾(尼飾城)三に鞍骨((鞍骨城))」と言われ近隣で堅固を誇ったと伝えられる。
弘治2年(1556年)武田信玄は真田幸隆に書状を送り、尼巌城を早く攻め落とすよう督励した。その後幸隆により東条氏は敗れて越後に逃亡した。
天正10年(1582年)上杉景勝が川中島地方の領主となると、東条信広が城主に復帰した。しかし、慶長3年(1598年)、東条氏は景勝の会津移封に同道し、尼巌城は廃城となった。
参考文献
- 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年
関連項目
- 東条城 (曖昧さ回避)
- (日本の城一覧)