陳 玉銘(ちん ぎょくめい)は中華民国の政治家。北京政府、奉天派の政治家で、後に蒙古聯合自治政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で要職をつとめた。
事績
1917年(民国6年)、奉天専門学校法科を卒業。以後、警察・検察分野を主に歴任し、奉天省柳河県県長などをつとめる。
1937年(民国26年)9月、陳玉銘は于品卿とともに察南自治政府を組織し、于は最高委員、陳は総務処処長兼民政庁庁長となる。1939年(民国28年)9月、蒙古聯合自治政府が成立すると、察南政庁長官に任ぜられた。翌年3月、南京国民政府(汪兆銘政権)の成立とともに、中央政治委員会委員となる。1943年(民国32年)8月、察南政庁が(宣化省)に改組されると、参議会参議に異動した。
日本敗北後の消息は不明である。