事跡
清朝では進士となり、翰林院編修、吏部主事、員外郎、郎中を歴任した。その後、吉林省に赴任し、長春府知府、吉林府知府を歴任した。次いで広西省に異動し、右江道、按察使を歴任した。この後、いったん中央に戻り、郵伝部左丞、山海関内外鉄道幇弁をつとめた。吉林間島辺防督弁をさらにつとめた後、1908年(光緒34年)に吉林巡撫に昇進した。
中華民国建国後の1912年(民国元年)3月、初代吉林都督に任命された。翌1913年(民国2年)1月に同省民政長も兼任している。6月、広東民政長に異動したが、病気のため着任できなかった。
同年10月24日、上海市で病没。享年48。
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN (978-7-202-03014-1)。
- 陳滄海「民初吉林都督陳昭常伝略」2009年4月27日(『江門文史』23号)、五邑数字文化網・江門五邑図書館
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN (7-101-01320-1)。