阿部 甚吉(あべ じんきち、1907年1月25日 - 1981年7月30日)は、日本の弁護士、大阪弁護士会会長、日本弁護士連合会会長。
略歴
1907年、徳島県に生れる。北陽商業高等学校(現・関西大学北陽中学校・高等学校)を卒業[1]。
1927年、関西大学専門部法律科に入学し、 1932年、同校を卒業、翌年司法試験に合格。はじめは村野弁護士事務所に勤めたが、1938年、独立して自宅に事務所を開く。その後、1954年、大阪弁護士会副会長、 1957年、近畿弁護士会連合会理事を務め、 1964年には大阪弁護士会会長[2]、近畿弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会常務理事を歴任、1969年、日本弁護士連合会会長に就任した。1947年からは母校である関西大学の経営に参画し千里山外苑買収問題、名神高速道路学内通過問題に関して尽力した[3]。
また一方では、1962年に日清食品監査役、 1971年には大阪府人事委員会委員なども務めた。