阿刀神社(あとじんじゃ)は、京都府京都市右京区嵯峨広沢南野町にある神社。式内社で、旧社格は村社。
阿刀神社 | |
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社殿 | |
所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨広沢南野町80 |
位置 | 北緯35度1分14.10秒 東経135度41分31.16秒 / 北緯35.0205833度 東経135.6919889度座標: 北緯35度1分14.10秒 東経135度41分31.16秒 / 北緯35.0205833度 東経135.6919889度 |
主祭神 | 天照皇大神 |
社格等 | 式内社(小) 旧村社 |
創建 | (推定)平安時代初頭 |
例祭 | 10月13日[1] |
祭神
明治16年(1883年)の『神社明細帳』では、祭神を天照皇大神とする[1]。一方『神祇志料』では、阿刀宿禰祖の昧饒田命((味饒田命))を祭神とする[1]。
社名「アト」の由来を「アツ」すなわち「ヤツ(谷)」からの転訛として、祭神を水神(= 農業神)とする説もある[1]。
歴史
概史
社名「阿刀」に見えるように、当社は古代氏族阿刀氏(あとうじ)の氏神社とされる[2]。この阿刀氏に関して、『新撰姓氏録』(815年)で山城国に「阿刀宿禰」「阿刀連」の記載があり、それぞれ石上朝臣(物部氏)の支族で、饒速日命の孫の味饒田命の後裔であるとしている[2]。阿刀氏の元々の本拠地は河内国渋川郡跡部(現在の大阪府八尾市の(跡部神社)周辺)であったが、平安京遷都に伴う移住によって、祖神を当地に遷したとされる[2]。
国史では、貞観8年(866年)[原 1]に阿刀神を指すと見られる「降居神」に従五位下の神階が叙せられている[2]。また、『日本後紀』[原 2]には「大和国の石上神宮の器仗を山城国葛野郡に移す」とあるが、その地は阿刀神社北西(嵯峨新宮町)に明治まで存在した小祠「新宮の社」であったと伝える[2](非現存[1])。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、山城国葛野郡に「阿刀神社」と記載されて式内社に列している[2]。
明治10年(1877年)3月に近代社格制度おいて村社に列した[1]。現在は小祠のみを残している。
神階
脚注
原典
出典
参考文献
関連項目
- (跡部神社)(大阪府八尾市、北緯34度37分4.88秒 東経135度34分43.40秒 / 北緯34.6180222度 東経135.5787222度) - 阿刀氏の発祥地。河内国渋川郡の式内社で、阿刀神社の元社とされる。
外部リンク
- 式内阿刀神社 - 京都市産業観光局「京都観光Navi」