長徳寺(ちょうとくじ)は、新潟県新発田市にある仏教寺院。堀部武庸の生家中山家の菩提寺である。武庸が新発田から旅立つ時に植えたとされる石台松(現在は二代目)と赤穂浪士の木像が収められている義士堂がある。毎年吉良邸討ち入りの12月14日に彼を偲び義士祭が行われる。
長徳寺 | |
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所在地 | 新潟県新発田市大栄町2-7-22 |
位置 | 北緯37度56分47.56秒 東経139度19分19.72秒 / 北緯37.9465444度 東経139.3221444度座標: 北緯37度56分47.56秒 東経139度19分19.72秒 / 北緯37.9465444度 東経139.3221444度 |
山号 | 松霊山 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1585年(天正13年) |
開基 | 関根慶順 |
公式サイト | 浄土真宗 長徳寺 |
法人番号 | 7110005004961 |
境内の中の義士堂
1912年(明治45年)5月10日福岡の頭山満、のちに(中央義士会)を創立した福本日南らの支援を受けて「(義士銘々伝)」で成功をおさめた浪曲会中輿の祖・桃中軒雲右衛門口演で生誕地新発田を訪れた時、堀部安兵衛(堀部武庸)・顕彰碑の計画があることを聞き長徳寺に赴き、福岡の自宅に秘蔵する(四十七士木像)の寄贈を申し出た。 その年の12月14日,(富田精策),(上野喜永次),(高橋静一郎)の三人が(武庸会)の立上げを 計画。 そして、翌年の1913年(大正2年2月4日)「(武庸会)」が発足した。 4月16日,(高橋静一郎)氏自ら博多の(雲右衛門)の自宅に赴き譲り受けた(義士木像)が 新発田に到着した。(義士木像)は迎えの(三ノ町台輪)に乗せられ、(高張提灯)を先頭に (武庸会)、(四十七士の装束の芸妓)他百数十の祭りのような行列で長徳寺に納められた。 1929年(昭和4年4月3日)この(義士木像)を納める「(義士堂)」が完成し,13代溝口直亮公の書 を中心に建設に賛同した後の元帥・陸軍大将武藤信義や中将・少将,政治家では 首相経験者の若槻禮次郎,新発田出身の高橋光威、芸術家では会津八一,相馬御風 他の「書画」60点が格天井や壁に納められた。
文化財
アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
- “浄土真宗 長徳寺”. 2012年7月26日閲覧。
- “真宗大谷派 松霊山 長徳寺”. 2022年2月23日閲覧。