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錦織剛清

錦織 剛清(にしごり たけきよ/ごうせい、安政2年(1855年) - 大正9年(1920年)2月[注 1])は、書画刀剣鑑定師[6]・画家。旧相馬中村藩であり、相馬事件との関わりで知られている。

来歴

相馬中村藩士の子として生まれるが、その家系・前半生については、よくわかっていない[注 2]

旧中村藩主・相馬誠胤(そうま ともたね)が親族の申し入れにより癲狂院に入院させられていることを知ると、関係者がお家乗っ取りを図るためだと疑い、明治18年(1885年)・同19年(1886年)と2度に渡って癲狂院に侵入し、不法侵入の罪でそれぞれ1か月投獄される[5]という、いわゆる相馬事件を引き起こし、一時は忠義者として世間に名を馳せる。誠胤奪還の際は支援者であった後藤新平は自宅に二人を匿い、誠胤の診察もした[5]。剛清は母と二人暮らしで自作の絵を売って糊口を凌いでいたが、相馬事件がもとで妹が婚家より離縁されて子連れで出戻り、生活はさらに逼迫した[9]。一方で相馬事件の支援金を得て、事件協力者へ多額の出費もしていた。

明治25年(1892年10月25日には、「神も仏もなき闇の世の中」という相馬事件に関する本を発行し、当時のベストセラーになった。誠胤病死後は後見役らを謀殺の容疑で告訴したが、証拠不十分で免訴となり[5]、反対に明治27年(1894年)、誣告罪で訴えられ、事件に関連して逮捕起訴され、重禁錮4年の刑に処される。剛清の妻・小山トキも共謀したとして生後2か月の娘・剛子を抱いて入獄した(のち証拠不十分で放免)[10]。このとき共謀者として後藤も訴えられ半年間収監されたが、無罪で放免された[5]

大正9年(1920年)2月、芝区兼房町(現・港区新橋二丁目)で没[注 1]

人物

  • 弁が立ち、容姿の良い男であったという。
  • 作家画家として活動する際には、愚翁居士という名を用いていた。彼の作品の一つである水墨画「名月梧桐図」は、早稲田大学図書館に所蔵されている。
  • 長谷川時雨によると、吉原で絶世の美女としてその名を轟かせていた「金瓶楼」(のち、「大黒」と改称)の花魁・今紫(高橋お幸、1853-1913)[11]が、晩年に剛清を夫としていたという[12]

著書

  • 『神も仏もなき闇の世の中』 錦織剛清、明治25年(1892年)
神崎清編『明治記録文学集』(明治文学全集 ; 96、筑摩書房、1967年、(ISBN 9784480103963))に所収。なお巻末に、未収録の内容や裁判の判決文を収めた続篇『神も仏もなき闇の世の中拾遺』の近刊広告が掲載されているが、実際に出版されたかは不明。

脚注

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注釈

  1. ^ a b 死亡日について、東京日日新聞では「2月23日[1]読売新聞では「2月26日[2](大正14年(1925年)に剛清の妹をインタビューした記事では、「2月23日」[3])となっている。また神崎清によると、郷土史家のあいだでは「2月22日」に死亡したと伝えられていたという[4](この日は、相馬誠胤の命日でもある)。なお、昭和に入ると、没年が「大正10年(1921年)」と誤って伝えられるようになる[5]
  2. ^ 事件後に相馬家側の立場から出版された書籍によると、剛清の父・儀助は下級武士であり、徒士目付を務めたこともあったが、過失により改易されたという。また剛清は藩兵として鼓笛隊に属したが、廃藩置県秩禄処分によって職と収入を失い、一時帰農したものの仕事を好まず、相馬中村の豪商・立谷氏の女と通じて同家に寄食し、立谷氏の家産が傾くと古金銀の処分を引き受けて明治14年(1881年)に上京。しかしうまくいかず、一旦郷里に戻った後、女とともに再度上京した、とある[7]。なお、神崎清も「郷土史家のリポート」として、ほぼ同様の内容を紹介している[8]

出典

  1. ^ 東京日日新聞1920年2月27日付朝刊、10頁。
  2. ^ 「錦織氏逝く」、読売新聞1920年2月27日付朝刊、5頁
  3. ^ 後藤子を見て新たな老婆の涙」、読売新聞1925年1月6日付朝刊、3頁
  4. ^ 神崎清 編「解題」『明治記録文学集』筑摩書房明治文学全集 ; 96〉、1967年、402頁。ISBN (9784480103963)。 
  5. ^ a b c d e 『あの人この人』沢本孟虎著 (青山書院, 1942)
  6. ^ 錦織剛清後藤新平皆被告『新聞集成明治編年史. 第8卷』林泉社、1940年。
  7. ^ 相馬旧臣事務所 編『晴天白日相馬実伝』田代為信、1893年、39頁。(NDLJP):773448/23。 
  8. ^ 神崎清 編「解題」『明治記録文学集』筑摩書房〈明治文学全集 ; 96〉、1967年、400頁。ISBN (9784480103963)。 
  9. ^ 赤貧尚主家の為に尽す錦織剛清の家に更に厄難は重ね来る『新聞集成明治編年史. 第6卷』林泉社、1940年
  10. ^ 錦織以下拘引『新聞集成明治編年史. 第8卷』林泉社、1940年
  11. ^ 今紫コトバンク
  12. ^ 『明治美人伝』長谷川時雨

関連項目

  • 後藤新平 - 錦織の支援者の一人で事件に連座した。
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