破綻までの経緯 本店所在地で、釜石市の基幹産業である新日本製鐵釜石製鐵所の経営合理化や高炉の休止、また、200海里問題以降の水産関連事業等の不振や、それらによる人口減少等で響き、主要の貸出先が経営危機に陥り、不稼働資産が増加して、当信金の経営内容が悪化した。
このため、1993年に経営破綻(破綻金融機関整理番号:3号)し、岩手銀行を中心とした6金融機関などに事業を譲渡して消滅した。
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