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酒井 弘(さかい ひろむ、1914年(大正3年)11月3日[1] - 1996年(平成8年)12月9日[1])は、昭和期の歌手。
経歴
兵庫県丹波篠山市出身。大阪音楽学校、武蔵野音楽学校中退後、1935年(昭和10年)に東京音楽学校に入学する。同校卒業後、(テノール歌手)として活躍。1937年(昭和12年)3月、ポリドールから「(春の感傷)」でレコードデビュー。その際は三村博という変名であった。その後、コロムビアレコードに移籍し、代表曲は「戦友の遺骨を抱いて」(この曲は各社競作)、「(比島決戦の歌)」、「あゝ紅の血は燃ゆる」、「(僕は空へ君は海へ)」など戦時歌謡中心である。戦後は東京芸術大学で助教授を務める。1982年(昭和57年)まで同校に勤務し、「発声の技巧とその活用法」などの著書のほか「日本歌曲の歌い方と日本語の発音」などの著書も発表した。1987年(昭和62年)に勲三等瑞宝章を受章。