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酋長の娘

酋長の娘」(しゅうちょうのむすめ)は、日本の演歌師である石田一松1902年 - 1956年)作詞・作曲による歌謡曲コミックソング)である。1930(昭和5)年8月発売。歌は大阪南地、(富田屋喜久治)。

解説

  • 1892年ミクロネシアチューク諸島(トラック島)に移住し、島の酋長首長)の娘と結婚した実在の日本人(高知県出身の森小弁)をモチーフにした作品である。(ただしこの結婚相手の女性は実際には歌詞のイメージとは違いミッションスクール出身のインテリタイプであったという)
  • 原曲は大正末期、高知高校の記念祭に作られたもので、作詞者は不詳。昭和初期に関西で流行しだし、これに目をつけたポリドールが石田一松に改作させ、レコード化。前年創立された(ポリドール)の日本盤としては最初のヒット曲となった[1]
  • 作品発表当時、ミクロネシアは国際聯盟委任統治領として当時の大日本帝国の支配下にあり「南洋群島」と呼ばれていた。1919年の南洋群島領有により日本国内で南進論がブームになった1920年代に入って、南洋(東南アジアおよびオセアニア島嶼部)の地名・風俗を歌詞に取り入れた大衆歌謡が登場するが、この作品はそのような歌曲の一つである。
  • この曲がヒットした1930年、10万枚前後のレコードを売り上げたのは「酋長の娘」のほか、「唐人お吉」「祇園小唄」「ザッツ・オーケー」「加茂川セレナーデ」「恋と花」などが挙げられる[2]
  • 戦後、ザ・ドリフターズによって「ドリフのラバさん」(1971年。歌詞は大半が異なる。シングル『(ドリフのツーレロ節)』のB面に収録)の題名でカバーされた。
  • また、ザ・ドリフターズがメインのバラエティ番組フジテレビ火曜ワイドスペシャル・ドリフの昭和大爆進!笑いと唄の50年』(1975年10月7日放送。『ドリフ大爆笑』の前身)のオープニングでは、森進一ちあきなおみアグネス・チャンキャンディーズが1番と2番、さらに、1番と2番をいかりやのキャラクターにあわせて変えた歌詞(「酋長の娘」→「酋長の息子」、「南洋じゃ美人」→「あだ名はゴリラ」ほか)で歌唱し、ドリフターズが当曲をモチーフにしたオープニングコントを演じた。
  • 1979年3月には、「キャプテン・モジョ・グループ」によって「Chieftain's Daughter '79(酋長の娘)」(編曲:(小山恭弘))の曲名でディスコアレンジでカバーされた。
  • オリジナルのバージョンは「酋長」という言葉が放送禁止用語に該当するという理由で、今日放送されることはない。
  • 日本において著作権は歌詞、楽曲とも2006年12月31日を以て消滅した。

小節の構成

  • オリジナルは小節ごとに4拍子、4拍子、3拍子、4拍子となっている。変則な拍子に加え、合いの手が変わったタイミングで入るため、聞きなれないと非常にリズムが取りにくい。
  • 「ドリフのラバさん」では4拍子、4拍子、3拍子、3拍子にアレンジされている。
  • 火曜ワイドスペシャル版ではすべて3拍子にアレンジされ、スピーディな感じに仕上がっている。

歌詞

  • 一、わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人
  • 二、赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊る
  • 三、踊れ踊れ どぶろくのんで 明日は嬉しい 首の祭り
  • 四、昨日浜で見た 酋長の娘 今日はバナナの 木陰で踊る
  • 五、踊れ踊れ 踊らぬものに 誰がお嫁に 行くものか

本楽曲が登場する作品

関連項目

脚注

  1. ^ 丘灯至夫『歌暦五十年』全音楽譜出版社、1954年、195頁。(NDLJP):1353828/126
  2. ^ 東京日日新聞』1931年1月7日(倉田喜弘『日本レコード文化史』東京書籍(東書選書 124)、1992年、168頁。(ISBN 4-487-72224-1))。

参考文献

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