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都麻都比売神社

都麻都比売神社(つまつひめじんじゃ)は、紀伊国名草郡式内社名神大社)。

概要

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳紀伊国名草郡に「都麻都比売神社 名神大 月次新嘗」と記載された式内社名神大社)で、和歌山県和歌山市内の次の三社が比定の論社とされている。

  1. 都麻津姫神社 (和歌山市吉礼) - 旧村社
  2. 都麻都姫神社 (和歌山市平尾)
  3. 髙積神社 (和歌山市禰宜、位置) - 式内社「高積比古神社」「高積比売神社」の論社でもある。旧村社。 → 高積神社を参照。

祭神

伊太祁曽三神の略系図(表記は『日本書紀』による)

素戔嗚尊
須佐神社
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五十猛命
伊太祁曽神社
大屋津姫命
大屋都比売神社
枛津姫命
都麻都比売神社

社名に見えるようにツマツヒメ(都麻都比売命、抓津姫命)を祭神に祀る神社とされる。

ツマツヒメについて、『日本書紀』では一書として素戔嗚尊の娘神であると記載されている。また、ツマツヒメの兄神には五十猛命(イソタケル/イタケル)、姉神に大屋都姫命(オオヤツヒメ)があり、両神はそれぞれ伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)、大屋都姫神社(和歌山市宇田森)に祀られている。これら3神は紀伊国に木種をもたらした神であるといい、紀伊では「伊太祁曽三神」と総称されている[1]

歴史

概史

史料の初見は『続日本紀大宝2年(702年)の記事[原 1]で、伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売3社を分遷したという記事である[1]

『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒[原 2]では、紀伊国の「都麻頭比売神」に対して13戸が給されている[1]。関連して、承平年間(931年-938年)頃の『和名類聚抄』では紀伊国名草郡に「津麻(津摩)郷」が見えるが、これは「津麻神戸」を意味するとされる[1]

神階としては、貞観元年(859年)に伊太祁曽神・大屋都比売神とともに「神都摩都比売神」として従四位下に昇った[1]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では紀伊国名草郡に「都麻都比売神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭新嘗祭幣帛に預かった旨が記載されている[1]。『紀伊国神名帳』では天神として「従四位上 都摩都比売大神」と記載されており、正一位に昇った伊太祁曽大神とは神階が開いた[1]。なお、同帳では関連して「従四位下 妻都比咩大神」の記載も見える。

以降の歴史は明らかでなく、上記の神社がいずれにあたるかは諸説がある。

神階

  • 六国史における神階奉叙の記録
    • 貞観元年(859年)正月27日、従五位下勲八等から従四位下勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「神都摩都比売神」。
  • 六国史以後
    • 従一位上 (『紀伊国神名帳』) - 表記は「都摩都比売大神」。「従四位上」の誤記か。

考証

式内社「都麻都比売神社」の比定は、現在も定かでない。古くは『紀伊国名所図会』や『南紀神社録』(延享3年(1746年))では山東の都麻津姫神社(吉礼、(1))に比定する。

また『紀伊続風土記』では、『南紀神社録』等でいわれる山東の都麻津姫神社(1)とは本来「吉礼津比売命」を祀るとしている[1]。吉礼津比売命は『紀伊国神名帳』に「従五位下 吉礼津姫神」として見える。加えて『続風土記』では、「都麻都比売神社」として平尾の妻大明神社(現・都麻都姫神社、(2))をあてる説を挙げる[1]

これらの説の一方、日前神宮・國懸神宮と和佐荘との間で起こった水論日前国懸神宮と高大明神の用水相論)での永享5年(1433年)の言上状では、高積神社(3)が古くは日前宮の地にあったといい、のちに鎮座地を移って山東、のち和佐山へと遷座したとする伝を載せている[1]。この伝には『続日本紀』大宝2年(702年)の記事とも一致が見られることから、『続風土記』では高積神社が都麻都比売神社である可能性が高いとしている[1]

都麻津姫神社 (和歌山市吉礼)

都麻津姫神社
 
社殿
所在地 和歌山県和歌山市吉礼911
位置 北緯34度12分18.49秒 東経135度14分6.79秒 / 北緯34.2051361度 東経135.2352194度 / 34.2051361; 135.2352194 (都麻津姫神社(吉礼))
主祭神 都麻津姫命
社格 式内社名神大論社
村社
創建 不詳
本殿の様式 流造
例祭 10月14日
主な神事 小豆粥神事(1月15日
(テンプレートを表示)

都麻津姫神社(つまつひめじんじゃ)は、和歌山県和歌山市吉礼にある神社式内社名神大社論社で、旧社格村社

祭神

主祭神

配祀神

歴史

紀伊国名草郡名神大社「都麻都比売神社」の論社。『紀伊国名所図会』や『南紀神社録』(延享3年(1746年))ではこれを当社に比定する。一方『続風土記』ではこれを否定し、当社は『紀伊国神名帳』に見える「従五位下 吉礼津姫神」を祀る神社であるとし、都麻都比売神を高積神社に比定する[2][1]

神社明細帳によれば、当社は江戸時代に式内社「都麻津姫神社」として奉斎されたが、明治に入り「吉礼津姫神社」に改称した[3]。明治6年(1873年)に旧社格において村社に列した[3]。その後、昭和21年(1946年)に旧称の「都麻津姫神社」に復し現在に至っている[3]

摂末社

  • 稲荷神社[4]
  • 弁財天社
  • 祇園社
  • 合祀社
  • 川御前社
  • 御霊社
  • 祖甫社

都麻都姫神社 (和歌山市平尾)

都麻都姫神社(つまつひめじんじゃ、都麻津姫神社)は、和歌山県和歌山市平尾にある神社式内社名神大社論社。熊野古道の平緒王子社跡に接する[3]

祭神

歴史

紀伊国名草郡名神大社「都麻都比売神社」の論社。『続風土記』では当社をこれに比定する説を挙げ、加えて『紀伊国神名帳』の「従四位下 妻都比咩大神」に比定する説を挙げる[5]

社名は『続風土記』では「妻大明神社」、『紀伊国名所図会』では「妻御前社」とある[3]。『続風土記』によれば、かつて境内は2町半あり社殿も荘厳であったというが、天正の兵乱で荒廃、豊臣秀長の再興もあったが衰微したという[3]。現在は6段あまりの境内に小祠が鎮座する[3]。境内には元文5年(1740年)の石燈籠2基が立つ[3]

なお『寛永記』によれば、かつて正月朔日・10月初亥日・11月初巳日には伊太祁曽神社の社人が当社に出仕したという[3]

高積神社

脚注

[脚注の使い方]

注釈

原典:記載事項の一次史料を紹介。

  1. ^ 『続日本紀』大宝2年(702年)2月22日条。
  2. ^ 『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年(806年)牒。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 高積神社(平) & 1983年.
  2. ^ 吉礼村(平) & 1983年.
  3. ^ a b c d e f g h i j 都麻都比売神社(式内社) & 1987年, p. 51-52.
  4. ^ 摂末社の記載は都麻津姫神社(吉礼)(和歌山県神社庁)による。
  5. ^ 平尾村(平) & 1983年.

参考文献

  • 式内社研究会編 編『式内社調査報告 第23巻 南海道』皇學館大学出版部、1987年。 
    • 奥鈴雄「都麻都比売神社」中村貞史「高積比古神社・高積比売神社」
  • 『日本歴史地名体系 31 和歌山県の地名』平凡社、1983年。ISBN (9784582490312)。 
    • 「吉礼村」「平尾村」「高積神社」

関連項目

外部リンク

  • 都麻津姫神社(吉礼)、都麻都姫神社(平尾)、髙積神社(和歌山県神社庁)
  • 都麻都比売神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)
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