都野 元勝(つの もとかつ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。毛利氏の家臣。都野氏は石見国那賀郡都野郷(現在の島根県江津市)を本拠とした国人。
生涯
慶長3年(1598年)、毛利氏家臣である都野家頼の子として生まれるが、元勝がまだ生まれる前の蔚山城の戦いにおいて父・家頼は戦死している。そのため毛利輝元は、生まれてくる子が男子なら家頼の後を継がせるとして、同年2月2日付で宛先に「都野」とのみ記した判物を(児玉元兼)を使者として先に与え、同年5月27日に改めて「都野役熊(元勝)」に家頼の後を継がせる旨の判物を与えた。
慶長9年(1604年)1月5日、輝元の加冠により元服し、輝元の偏諱から元勝と名乗った。また、元和3年(1617年)9月21日に「八郎兵衛尉」、寛永4年(1627年)2月1日には「三左衛門尉」の官途名を毛利秀就に与えられた。
参考文献
- 『萩藩閥閲録』巻85「都野三左衛門」