都 腹赤(みやこ の はらか)は、平安時代初期の貴族・漢詩人。(大和介)・桑原秋成の子。氏姓は桑原公のち都宿禰。官位は正五位下・文章博士[1]。
経歴
文章生を経て、少内記・大内記・大学頭・文章博士などを歴任し、弘仁12年(821年)には文章博士兼大内記の官職にあった。また、この間の弘仁11年(820年)外従五位下に叙せられている。弘仁13年(822年)弟の貞継ら一族と共に、氏姓を桑原公から都宿禰に改める。
弘仁14年(823年)淳和天皇の即位に伴って二階昇進して正五位下に叙せられる。また、淳和朝の元号「天長」(824年から834年)を選定した。天長2年(825年)7月7日卒去。享年37。
人物
漢詩人として、弘仁5年(814年)成立の『凌雲集』には2首が採録されているのみであるが、弘仁9年(818年)成立の『文華秀麗集』には撰者として参画し、10首が入集している。有職故実書『内裏式』の編集にも参画した。
当時、学識や漢詩の才が抜群であったという[2]。
官歴
注記のないものは『六国史』による。