伝記の記載を年譜形式のみとすることは(推奨されていません)。 |
部谷 孝之(へや たかゆき、1922年7月10日 - 2004年10月20日)は、昭和期における日本の政治家である。民社党衆議院議員(2期)、民社党山口県議会議員(3期)を務めた。
経歴
政治活動
役職等
人柄
- 受田新吉は自叙伝「白道をゆく」で部谷について「昭和42年春、山口県議選に民社党公認として立候補当選するまでの十有余年間、部谷君は持ち前の明晰な頭脳と、労組時代に培った政治的手腕でもって、みごとに私を補佐してくれた。同時に彼は、民社党の秘書団長を永年にわたって務めるとともに、衆参両院の秘書千四百人で組織する協議会の副会長も長く務め、国会秘書団にあって、党派を超えた信頼を集めていたものである。部谷君が、いわゆる受田学校の優等生の一人であり、県議三期にして、すでに中央政界でも通用するだけの政治家としての力量・風格を備えてきていることは衆目の認めるところとなった」と著している。
脚注
- ^ 「97年秋の叙勲受章者勲三等以上の一覧」『読売新聞』1997年11月3日朝刊