近藤 亨(こんどう とおる、1921年6月18日[1] - 2016年6月9日)は、日本の農学者。(ネパール・ムスタン地域開発協力会)理事長。ネパールにおいて世界最高地の稲作に成功したことで知られる。
人物
1921年、新潟県に生まれる。新潟大学農学部助教授を経て(新潟県園芸試験場)の研究員となり、1976年には国際協力事業団 (JICA) から植樹栽培専門家としてネパールに派遣される。それ以来、ネパールのために尽力する。JICAを辞めた後もネパール・ムスタン地域開発協力会 (MDSA)の理事長として、現地ムスタンに留まり、果樹栽培の指導や、小学校や病院などを建設し、ネパールの秘境で地元の人たちのために、90歳を過ぎた後も活躍していた。特に、1998年10月、標高2750mのネパール・ムスタン・ティニ村で世界最高地の稲作に成功し、ネパール各方面より多大なる賞讃を集めた。
略歴
- 1921年 - 新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)に生まれる。
- 1939年 - 新潟県立三条中学校卒業。
- 新潟県立農林専門学校(現・新潟大学農学部)卒業。
- 新潟大学農学部助教授を経て、新潟県園芸試験場の研究員となる。
- 1976年 - 国際協力事業団(JICA)の果樹栽培専門家としてネパールへ、以後十数年間にわたり、ネパールのために尽力する。
- 1991年 - 後発開発途上国ネパールの中で各国の支援活動、辺境・ムスタン地域住民の自立に寄与するべく、ネパール・ムスタン地域開発協力会 (MDSA)を任意団体として発足。
- 1997年3月 - 北海道大学より 農学博士。論文の題は「形質転換によるジャガイモ葉巻ウイルス抵抗性ジャガイモに関する研究 」[2]。
- 1998年10月 - 標高2750mのネパール・ムスタン・ティニ村で世界最高地の稲作に成功。
- 2003年4月 - 特定非営利活動法人(NPO) ネパール・ムスタン地域開発協力会設立、現在、ムスタン・ガミ村(標高3600m)の高地に病院を建設。病院運営に邁進した。
- 2016年6月9日 - 肺炎のため東京都青梅市の病院で死去[3]、94歳。ムスタン・ガミ村の病院に分骨された墓がある[4]。