輪島駅(わじまえき)は、かつて石川県輪島市河井町にあった、のと鉄道七尾線の駅で同線の終着駅である。2001年、七尾線の穴水駅 - 当駅間の廃止に伴い廃駅となった[4]。
歴史
- 1935年(昭和10年)7月30日:鉄道省(国鉄)七尾線 穴水駅 - 当駅間開通と同時に開業[1][3]。(一般駅)[1][3]。
- 1976年(昭和51年)4月1日:貨物の取扱を廃止[1][3]。
- 1977年(昭和52年)7月15日:駅舎を改築[5]。
- 1979年(昭和54年)4月10日:みどりの窓口を設置[6]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物扱い廃止[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[3]。
- 1991年(平成3年)9月1日:JR西日本七尾線 七尾駅 - 当駅間がのと鉄道に転換[3]。同社の駅となる[3]。
- 2001年(平成13年)4月1日:のと鉄道七尾線 穴水駅 - 当駅間廃止により廃止[1][4]。
駅構造
晩年には駅舎側のホーム1面と線路1線のみ使用していて、夜間滞泊も設定されていなかった[注釈 1]。全盛期にはホーム2面3線を有し、蒸気機関車が運行されていたころは転車台、給水塔も設けられていた[7]。
利用状況
この節は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2022年6月) |
「石川県統計書」によると、廃止前までの1日平均(乗車人員)は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1990年 | 455 |
1991年 | 491 |
1992年 | 494 |
1993年 | 464 |
1994年 | 439 |
1995年 | 343 |
1996年 | 376 |
1997年 | 323 |
1998年 | 307 |
1999年 | 298 |
2000年 | 304 |
駅周辺
駅の裏側に文化会館があり、駅前を石川県道が通っていた。高校・小学校・工芸会館・朝市横丁は駅北側、市役所は駅西側、運動公園・中学校・自衛隊基地は駅東側にある。なお、輪島港や輪島温泉は駅からやや離れた所にある。
その他
- 使用されなくなったホームに立っていた駅名標の次駅の欄には、日本海を指す方向に「シベリア」といたずら書き(落書き)されているが、当時の駅長の配慮でこのいたずら書きはそのまま残り[10]、駅の名物となった。駅跡地に整備された道の駅輪島には当駅をイメージした小さなモニュメントがあり、この駅名標のレプリカが設置されている[10]。
- ホテル高州園(現・ホテルこうしゅうえん)のテレビCMには当駅の駅名標を基にした駅名標[注釈 2]が登場し、当時の社長が駅長役として出演したものがあった。なお、このCMは数本が作られ、1980年代から2000年代まで長らく放映された。
廃止前の駅名標
輪島駅をイメージしたモニュメント(2019年、道の駅輪島)
隣の駅
- のと鉄道
- 七尾線(廃線部分)
- 能登市ノ瀬駅 - 輪島駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h 安田・松本 2017, p. 56.
- ^ ほっと石川旅ねっと 道の駅輪島(ふらっと訪夢) - 石川県観光連盟
- ^ a b c d e f g h 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、155頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ a b “”. 北國新聞 (2021年6月21日). 2021年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月20日閲覧。
- ^ 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』JTBパブリッシング、2008年、139頁。ISBN (978-4-533-07145-4)。
- ^ 「輪島駅に「みどりの窓口」」『交通新聞』交通協力会、1979年4月12日、2面。
- ^ 安田・松本 2017, p. 58-59.
- ^ “一本松総合運動公園”. ほっと石川旅ねっと. 石川県観光連盟. 2022年12月1日閲覧。
- ^ “一本松公園”. 【輪島市】能登へ桜を見に行こう - Discover Noto. 能登DMC合同会社. 2022年12月1日閲覧。
- ^ a b “”. リフレッシュクイズ 6月27日(木). 石川テレビ放送 (2013年6月27日). 2022年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月3日閲覧。