路 年継(みち の としつぐ、天平宝字2年(758年) - 天長4年6月24日(827年7月21日))は、平安時代初期の貴族。姓は真人。正七位上・(路正道)の子。官位は従四位下・(尾張守)。
経歴
延暦22年(803年)従五位下・兵部少輔に任ぜられ、のち(出雲守)に転じる。平城朝では三河介・兵部少輔を務める。
嵯峨朝では(宮内少/大輔)を務めたのち、(相模介)として地方官に転じるが治績を挙げて相模守に昇格した[1]。またこの間、弘仁7年(816年)従五位上、弘仁10年(819年)正五位下、弘仁13年(822年)従四位下と嵯峨朝後半に順調に昇進を果たしている。のち、河内守・修理大夫を歴任する。
淳和朝の天長3年(826年)(丹波守)に任ぜられるが、まもなく尾張守に転任した。天長4年(827年)6月24日卒去。享年70。最終官位は尾張守従四位下。
人物
文才はなかったが、精勤し怠ることがなかった[1]。
官歴
『日本後紀』による。
系譜
- 父:(路正道)[1]
- 母:不詳