貫 助次郎(ぬき すけじろう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊前国企救郡貫庄(現在の福岡県北九州市小倉南区貫)の生まれで、毛利氏の家臣。兄は貫助八。
生涯
天文元年(1532年)、豊前国企救郡貫庄に生まれる。(貫氏)は豊前国企救郡貫庄を本拠とし、地名から貫氏を称した。
毛利元就に仕えた兄・助八が、永禄4年(1561年)の第四次門司城の戦いにおいて戦死。助八に嗣子がいなかったため、助次郎がその後を継いだ。第四次門司城の戦いの助八の忠勇を賞して、毛利隆元から貫氏への賞恩として豊前国貫庄内に75石と感状を与えられている。
元亀3年(1572年)2月14日、毛利輝元から長門国大津郡日置庄の内に13石余[1]を与えられ、天正6年(1578年)12月20日には兵部丞の官途名を与えられた。また、天正16年(1588年)6月25日には、長門国厚東郡吉見郷内の69石余の地を与えられている。
脚注
- ^ (金子五郎)先給知行。
参考文献
- 『萩藩閥閲録』巻150「貫半左衛門」